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 こんどは顔を横に向けて半面に光線を受けた所を鏡にうつして見る。「こうして見ると大変目立つ。やっぱりまともに日の向いてる方が平(たいら)に見える。奇体な物だなあ」と大分感心した様子であった。それから右の手をうんと伸(のば)して、出来るだけ鏡を遠距離に持って行って静かに熟視している。「この位離れるとそんなでもない。やはり近過ぎるといかん。――顔ばかりじゃない何でもそんなものだ」と悟ったようなことをいう。次に鏡を急に横にした。そうして鼻の根を中心にして眼や額や眉(まゆ)を一度にこの中心に向ってくしゃくしゃとあつめた。見るからに不愉快な容貌(ようぼう)が出来上ったと思ったら「いやこれは駄目だ」と当人も気がついたと見えて早々やめてしまった。「なぜこんなに毒々しい顔だろう」と少々不審の体(てい)で鏡を眼を去る三寸ばかりの所へ引き寄せる。右の人指しゆびで小鼻を撫でて、撫でた指の頭を机の上にあった吸取り紙の上へ、うんと押しつける。吸い取られた鼻の膏(あぶら)が丸(ま)るく紙の上へ浮き出した。色々な芸をやるものだ。それから主人は鼻の膏を塗抹(とまつ)した指頭を転じてぐいと右眼(うがん)の下瞼(したまぶた)を裏返して、俗にいうべっかんこうを見事にやって退(の)けた。あばたを研究しているのか、鏡と睨(にら)め競(くら)をしているのかその辺は少々不明である。気の多い主人の事だから見ているうちに色々になると見える。それどころではない。もし善意を以て蒟蒻問答的に解釈してやれば主人は見(けん)性自覚(しょうじかく)の方便としてかように鏡を相手に色々な仕草を演じているのかも知れない。凡(すべ)て人間の研究というものは自己を研究するのである。天地といい山川(さんせん)といい日月(じつげつ)といい星辰(せいしん)というも皆自己の異名に過ぎぬ。自己を措(お)いて他に研究すべき事項は誰人(たれびと)にも見出し得ぬ訳だ。もし人間が自己以外に飛び出す事が出来たら、飛び出す途端に自己はなくなってしまう。しかも自己の研究は自己以外に誰もしてくれる者はない。いくらしてやりたくても、もらいたくても、出来ない相談である。それだから古来の豪傑はみんな自力で豪傑になった。人の御蔭(おかげ)で自己が分る位なら、自分の代理に牛肉を喰(く)わして、堅いか柔かいか判断の出来る訳だ。朝(あした)に法を聴(き)き、夕(ゆうべ)に道を聴き、梧前(ごぜん)燈(とう)下(か)に書巻を手にするのは皆この自証を挑撥(ちょうはつ)するの方便の具に過ぎぬ。人の説く法のうち、他の弁ずる道のうち、乃至(ないし)は五車(ごしゃ)にあまる蠧紙堆裏(としたいり)に自己が存在する所以(ゆえん)がない。あれば自己の幽霊である。尤もある場合において幽霊は無霊より優(まさ)るかも知れない。影を追えば本体に逢着(ほうちゃく)する時がないとも限らぬ。多くの影は大抵本体を離れぬものだ。この意味で主人が鏡をひねくっているなら大分話せる男だ。エピクテタスなどを鵜呑(うのみ)にして学者ぶるよりも遥かにましだと思う。

 鏡は己惚(うぬぼれ)の醸造器…

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