戦争への批判を貫いた100歳の人生だった。昭和天皇の弟、三笠宮崇仁(みかさのみやたかひと)さまが27日、亡くなられた。戦時中は軍人として戦争を体験し、戦後はオリエント史の研究者として知られ、ダンスも楽しまれた。「昭和」を体現した存在を、ゆかりの人たちはしのんだ。

 旧日本軍の大本営参謀などを務めた三笠宮さまは、「軍は歴史の研究が不十分だったのではないか」との思いから、戦後は歴史研究の道を歩んだ。

 1980年代から15年ほど、東京芸術大学の客員教授として古代オリエントの美術史などについて講義した。当時、講義の助手を務めた本郷寛教授(65)によると、初回の授業では、近代になって文明が急発達したことを説明した。「このままいくと人類は消滅する。文明の発達をゆるやかにしていく必要がある」と語ったという。

 講義では、丁寧にわかりやすく話すことを心がけている様子で、学生の質問にも真剣に応じていた。きりっとして姿勢がよく、優しい物腰だった。本郷教授は「教育者としての姿勢が勉強になった。悲しいというよりさみしい。『ありがとうございました』と申し上げたい」としのんだ。

 三笠宮さまが会長を務めていた日本オリエント学会の活動を通して、40年以上の親交がある歴史学者の小林登志子さん(67)は、「晩年までずっと公務に励まれ、お疲れもあったでしょう」とおもんぱかった。

 10年ほど前、「皇族以外の人生も考えたことがありますか」と尋ねたことがある。答えは「皇族として生まれたから、他の人生は考えられない」だった。昨年春に宮邸を訪れた時は、前年の御嶽山噴火の被災者を気遣っていた。「常に国民の幸せを考え、身を捧げる覚悟があったと思う」

 カラオケでは村田英雄さんの「王将」を歌い、好きなテレビドラマは「相棒」だと、妻の百合子さまと声を合わせていた。「学者らしく『歌謡曲は時代を映している』と分析していた。いつも世の中に気を配っていたんでしょうね」

 ダンスをたしなむ一面も知られた。49年、公務で訪れた北海道のダンスパーティーでフォークダンスに出会い、その後は「ダンスと名のつくものならほとんどやりました」と周囲に語るほどだった。

 自ら楽しむだけでなく、「国民にもレクリエーションが必要」とダンスの普及に努め、社交ダンスの全国一を決める「三笠宮杯全日本ダンススポーツ選手権」を開いた。

 三笠宮さまが総裁を務めた日本スクエアダンス協会の常務理事、半田啓二さん(69)は46年前、8人一組で踊るスクエアダンスを一緒に踊った。「楽しそうに踊られる様子が印象的だった」。半田さんは今年1月にも、新年のあいさつに宮邸を訪れた。「お元気そうだったので驚いている。普及にますますご尽力いただきたかったのに」と残念がった。

 舞踏芸術家でご夫妻にダンスを指導した黄実(ホァンシー)さん(52)は「いつも笑顔で謙虚。基礎が身についていて、何を教えてもすぐにマスターされた。背筋が伸びていて、ピタッと踊りが決まった」と振り返った。

 最後に会ったのは4年前。三笠宮さまは「あなたは私のダンスの先生だよ」と言い、また一緒に踊ることを約束した。黄さんは「殿下が元気に踊っている姿をもう一度見たかった」と話した。