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 日本には西洋のような「革命」はないとされてきた。しかし、織田信長でさえ正面から対決しなかった朝廷との戦争を制し、我が国固有の法を定めた男がいた。彼こそが「日本史上唯一、成功した革命家」とする論考が、注目を集めている。

 発表したのは社会学者の大澤真幸(まさち)さん(58)。

 大澤さんは「革命」の定義を、「社会の根本的な変革が、当の社会のメンバーによって意図的に引き起こされること」と規定。大化改新や明治維新、戦後の民主化は外部からの衝撃や外圧に対する反応であり、「内発的な変動とは見なしえない」として除外する。

 そのうえで、日本史上の著名人物を検証。後醍醐天皇や織田信長は一見、革命を実現したようにみえるが、志半ばに終わった。豊臣秀吉や徳川家康により革命が成就したともいえそうだが、2人はむしろ「反革命的」とみる。関白や征夷大将軍に就くなど、朝廷という既存の権威に依存したからだ。

 大澤さんが、唯一成功した革命家と位置づけるのは、鎌倉幕府3代執権・北条泰時(1183~1242)だ。

 1221年の承久の乱で後鳥羽上皇の朝廷と対決。武士が皇族と戦うには、上皇や皇太子らの命令に基づく「院宣(いんぜん)」や「令旨(りょうじ)」を必要としてきたが、泰時はそれなしに京都に攻め上って朝廷軍を倒した。泰時ら幕府による戦後処理も厳しく、後鳥羽ら3上皇を流罪にし、仲恭天皇を廃した。朝廷の外の人間が皇室関係者を断罪したのは「日本史上、後にも先にもない」と大澤さん。

 幕府は朝廷の監視や西国支配の拠点として六波羅探題を設置。「東国と西国が統一された」とする。

 さらに泰時が“武家の法典”ともいえる御成敗(ごせいばい)式目(貞永式目)を定めた点に注目する。式目は御家人間の紛争を公平に裁く基準を明らかにし、関東の寺社について修理を推奨した。寺社についてわざわざ規定することで「寺社が幕府の支配下にあると示した」。

 古来、唐の法を手本とした大宝律令のように外国の法を参考に法がつくられてきたが、「日本史上初めての体系的な固有法」(大澤さん)となり、その後も社会に広く浸透した。

 「泰時=唯一の革命家論」は実…

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