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 1615年の大坂夏の陣で討ち死にした戦国時代の武将・後藤又兵衛(またべえ、基次)の最期の様子が豊臣秀頼に報告された状況を記した書面が見つかった。岡山県立博物館(岡山市北区)が17日発表した。致命傷を負った又兵衛が、秀頼から拝領した脇差し「行光(ゆきみつ)」で家臣に介錯(かいしゃく)を頼んだことが記されている。豊臣方による史料は珍しいという。

 又兵衛は豊臣秀吉の軍師として知られる黒田官兵衛に仕え、黒田家を離れてから浪人となり、大坂の陣で徳川方の大軍に囲まれた末に討ち死にしたとされる。

 書面は縦27・4センチ、横35・0センチの1枚紙。豊臣方で又兵衛の下で戦った備前国(岡山)の武将、金万平右衛門(こんまへいえもん)か、その子孫が書いたとみられる。今春に博物館職員が京都府内の子孫宅にあった書面を受け取ったという。

 大阪城天守閣の跡部(あとべ)信・主任学芸員の解釈によると、書面にはまず、又兵衛が長四郎という小姓に脇差しを渡し、自分の首を討って、又兵衛の最期はこうだったと秀頼に伝えるよう指示したが、長四郎は首を落とせず、脇差しだけを秀頼に渡したという内容が書かれているという。さらに、もう1人の小姓も討ち死にした証拠として又兵衛の旗のようなものを秀頼に持って行き、その後、金万平右衛門がその場に到着したと記す。

 岡山県立博物館の内池英樹学芸…

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