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 東京電力福島第一原発の事故後、若狭湾の原発の運転差し止めを求める住民らの訴えを司法は二度認めた。住民側弁護団の先頭に立つのは、裁判官出身の弁護士、井戸謙一さん。裁判長時代、巨大地震による事故のリスクを指摘し、営業運転中の原発差し止めを初めて導いたその人だ。原発の是非をめぐり、司法判断の流れは変わりつつあるのか。3・11のショックで立ち上がったという弁護士は、かぎを握るのは「世論」と語る。

きっかけは3・11

 ――脱原発の一連の訴訟にかかわるきっかけは。

 「福島の事故のあと、同じ滋賀県の故・吉原稔弁護士から『大津地裁で原発差し止めの裁判をやりたいので弁護団に入ってくれないか』と誘われたのですが、私はお断りしていたんです。ついこの間まで法壇(裁判官席)の真ん中にいた人間が、自分がかかわったのと同種の裁判で当事者席に座るのは、品がないように思えて。それが、吉原弁護士が、とにかく話だけでもと来られたのですが、若手弁護士3人も一緒で、もう、私がウンと言うまで絶対に帰らないという雰囲気(笑)。それで『アドバイザーなら』と承諾したんです」

 「そうして2011年8月、定期検査で停止中の関西電力の福井県内の原発7基について再稼働を認めないよう求める仮処分申請を大津地裁に出しました。しかし、12年初め、吉原弁護士が病に倒れてしまって。弁護団を見渡すと若い人ばかり。オレがやると腹を決めました。これとは別に、11年6月、別の親しい弁護士から、放射線の悪影響を心配して子どもの疎開を求める集団訴訟に誘われ、その仮処分申請を福島地裁の郡山支部に出しにいくのですが、いきなりテレビカメラの前で先頭を歩かされ、記者会見を仕切らされ、中心的立場になってしまいました」

 ――原発の差し止めを認める06年の金沢地裁判決を書いたという経験も背中を押したのでは。

 「やはり、3・11ショックです。原発の差し止めを認める判決を出したとはいえ、こんなに早く事故が起き、あんな大変な事態を招くとはイメージしていませんでした。福島の事故で明らかになった原発の集中立地や使用済み核燃料のプールの危険性についても、自分の認識の甘さを思い知らされました。もっとも、あれほどの事故が起きたのだから、日本の原子力政策は、私なんかが声を上げなくても根本的に変わるだろうと思いました。ところが、日本政府は何もなかったかのように原発再稼働路線を進めます。放射線防護もめちゃくちゃ。国民のために働いていると思っていた官僚に裏切られた、とショックでした。自分の中に『義憤』を覚えました」

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