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脇山順子さん(1936年生まれ)

 長崎市の脇山順子(わきやまじゅんこ)さん(80)は長崎料理研究の第一人者だ。高校の家庭科教員を経て、長崎女子短大では調理学や女性学、食文化などを教え、教授も務めた。現在も講演したり、料理教室で教えたり、精力的に活動している。

 そんな脇山さんに影響を与えたのは、戦中・戦後の食糧難の時代だった。

 1945年には8歳だった。薬も食糧も十分に手に入らない時代で、2月に父を結核で亡くした。8月には長崎市鳴滝町(現在の長崎市鳴滝、爆心地から約3・3キロ)の自宅にいるときに原爆が落とされ、自宅は爆風で半壊。家にいたきょうだい5人と外出していた脇山さんの母は幸いにも、全員無事だった。だが時代はすぐさま戦後の食糧難へ。母は家庭科の教師として働きながら、女手一つで5人を育てた。脇山さんもいつしかそんな母の背中を見て、同じ道をたどるようになった。

 「食」を発信し続ける脇山さん。「家族の絆の、その中心には食がある」と語る。

 脇山さんは5人きょうだいの3番目に生まれた。長崎市鳴滝町の自宅近くの旧制長崎中で英語を教えていた父は、どこへ行くにも脇山さんを抱いて連れていくなど、とてもかわいがっていたらしい。「(父にとって)自慢の娘だったのよ」と、脇山さんは母からも聞いた。両親の愛を受けて脇山さんは活発に育った。五つ年下の弟が生まれるときには、玄関口に立ってホウキを持ち、必死になって産婆さんを追い払ったらしい。脇山さんにはっきりと記憶はないが、「おなかが大きいお母さんが、どうにかされてしまうと思ったのでしょうね」と振り返る。

 小学校入学前には、肺炎で寝込んだことがあった。病床で「アイスクリームが食べたい」と駄々をこねると、食糧が限られる中、母は工夫をしてアイスを作ってくれたという。その後脇山さんは快復したが、同じころに父も風邪をこじらせ、結核で入院。「私の病気の看病と心配とで、父の体調は悪くなってしまったようだった」と脇山さんは話す。

 脇山さんの父は、結核で2年ほ…

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