拡大する写真・図版 収容者たちが生活していた小屋を再現した施設=7月、米アイダホ州のミニドカ強制収容所跡、岡本玄撮影

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 75年前の日米開戦を機に、米国内に住む日系人を強制収容した歴史が、米国で再び注目されている。日系人を支えた米国人の足跡をたどる本の出版や、収容所の復元など「負の歴史」を後世に残す動きが広がっている。

強制収容の歴史刻む3冊

 米西海岸・シアトルに住む米国人、ブルックス・アンドリュースさん(79)は今年、3冊の本を出版した。「鉄条網の境界で」と「嘆きの谷」、「果てしない旅」。強制収容された日系米国人と、家族の歴史を描いた作品だ。

 ブルックスさんの父、エメリー・アンドリュースさん(1894~1976)は、シアトルの日系人教会で牧師をしていた。日系社会に深く関わっていた親子の人生を大きく変えたのが、日米の開戦だった。

 1941年12月7日(日本時間8日)、日本軍の真珠湾攻撃を機に、日本人だけでなく、米国籍の日系人も「敵性外国人」とみなされた。主に西海岸に住んでいた日系人ら約12万人は翌42年、全米10カ所につくられた収容所に送られた。日系人は持ち家や土地、家具などは格安で売り払うか手放すことが強いられた。

 エメリーさんは、同じ地域で暮らす「隣人」の日系人たちを助けたいと考え、教会で家具などを預かった。さらにアイダホ州ミニドカにつくられた収容所の近くに家族で引っ越し、収容された人たちに、預かった衣類や赤ちゃん用ベッド、ミシンなども届けた。

 こうした活動を快く思わない米国人もいた。入った食堂で注文を断られ、収容所近くの家から追い出されるなど嫌がらせも受けた。それでもエメリーさんは支援を続け、シアトルと収容所間の片道千キロほどを3年間で56回、車で往復。45年夏に戦争が終わった日のことを、ブルックスさんは鮮明に覚えている。「自宅にいたらサイレンが鳴り響き、母が『日本が降伏したよ』と教えてくれた」

 収容所が閉鎖され、家族でシア…

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