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 北海道・根室の北東沖に位置する北方領土。第2次世界大戦で旧ソ連軍に占領されて以来、71年が経過した今も日ロの領土問題は解決していない。15、16両日に予定される安倍晋三首相とプーチン大統領の首脳会談を前に、両政府による平和条約締結交渉を含めて、その経緯や焦点を整理した。

冷戦後の交渉、前進と停滞と

 ソ連は第2次世界大戦末期、日ソ中立条約の不延長を通告して日本に侵攻。日本のポツダム宣言受諾後の1945年9月5日までに北方四島を占領した。56年10月、鳩山一郎首相とブルガーニン首相が「日ソ共同宣言」に署名。同年12月の発効で国交を回復した。その際、北方領土問題は棚上げされ、共同宣言には、4島のうち歯舞と色丹を平和条約締結後に日本に引き渡すと明記されたが、米ソ冷戦下で平和条約締結交渉は停滞した。

 冷戦終結後、ソ連大統領に就任したゴルバチョフ氏は91年4月に来日し、海部俊樹首相と「日ソ共同声明」に署名。北方四島の呼称が初めて公式文書に盛り込まれた。ソ連は同年12月に崩壊した。

 93年10月、ロシアのエリツィン大統領が来日。細川護熙首相と「東京宣言」に署名し、4島全体が交渉の対象となった。97年11月、橋本龍太郎首相とエリツィン大統領によるクラスノヤルスク会談で、「東京宣言に基づき、2000年までに平和条約を締結するよう全力を尽くす」との考えで一致した。

 98年4月、静岡県伊東市の首脳会談で、日本政府は「川奈提案」を打診。「択捉島とウルップ島の間に国境線があることを確認できれば、4島がロシアの施政下にある現状を『合法』と認め、当面は日本に渡さなくてもよい」との妥協案だったが、ロシア政府は11月、拒否すると回答した。

 01年3月、森喜朗首相はイルクーツクでプーチン大統領と会談し、56年の日ソ共同宣言が「平和条約締結交渉の出発点」と確認。日本政府は「歯舞、色丹の引き渡し条件」と「国後、択捉の帰属問題」にそれぞれ分けて話し合う、同時並行協議案を打診した。

 この後、領土交渉は停滞する。小泉純一郎首相は03年1月、プーチン大統領と経済分野などで幅広い協力関係を目指す「日ロ行動計画」に合意したが、領土問題に具体的な進展はなかった。プーチン大統領は05年に「4島はロシアの主権下にあり、第2次世界大戦の結果だ」と発言し、態度を硬化させた。

 12年12月に政権に返り咲いた安倍晋三首相は、北方領土問題の解決に意欲を示す。13年4月、モスクワでプーチン大統領と「日ロ共同声明」に署名。「双方に受け入れ可能な解決策」を見いだす交渉を加速化させることで一致した。

 14年3月にロシアがクリミアを併合し、日米欧が対ロ制裁を科すなかでも両首脳は会談を重ねた。今年5月のロシア・ソチでの会談で、「新たなアプローチ」で交渉を進めることに合意。その際、安倍首相は8項目の経済協力プランを提案した。

 9月、ウラジオストクで行った首脳会談後、首相は「手応えを強く感じ取ることができた」と発言。会談では今回のプーチン氏来日も決まった。11月のリマでの会談後、首相は「簡単ではないが、着実に前進していきたい」と述べた。

経済協力テコに進展なるか

 領土問題とともに話し合われている経済協力。先駆けは1997年の「橋本エリツィン・プラン」だ。極東シベリアのエネルギー開発、ハイテク分野など6項目を掲げた。

 冷戦時代、日本の対ソ外交の基本は、領土が前進しなければ協力もしない「政経不可分」だった。ところが、ソ連崩壊後にロシア経済が大きく低迷したため、橋本首相は「信頼」「相互利益」を原則とする「対ユーラシア外交」を打ち出した。経済協力を呼び水に領土問題の進展を図る路線への転換だ。だが、翌年にロシアの通貨ルーブルが暴落し、投資は進まなかった。

 2000年のプーチン大統領就任後、ロシア経済は安定化する。03年には小泉首相と「日ロ行動計画」で合意。貿易投資促進機構ができ、日本の商社や石油会社がサハリンの石油・天然ガス開発の大型プロジェクトなどに乗り出した。しばらく資源輸出で潤ったロシアだが、14年3月のクリミア併合を受けた日米欧の経済制裁で暗転する。15年の実質国内総生産(GDP)は前年比3.7%減で、リーマン・ショック以来のマイナス成長だった。

 今年5月、安倍首相がプーチン氏に提案した「8項目の経済協力プラン」(健康長寿、都市づくり、中小企業交流、エネルギー、産業多角化、極東産業振興、先端技術、人的交流)は、そんなタイミングで出てきた。ロシア側は事業案を積極的に示した。サハリンと北海道を結ぶガスパイプラインや送電網の敷設、シベリア鉄道の北海道延伸といったものまである。

 両政府は実現性が高い約30の「優先事業」に絞り、次の首脳会談で合意をめざす。ただ、領土問題の進展につながらない可能性もある。日本政府の立場は厳しくなる。

「8項目の経済協力」と主な事業

【健康長寿】極東に日本型病院

【都市づくり】最新技術で南西部ボロネジなどをモデル都市に

【中小企業交流】セミナーなどを通したビジネスマッチング

【エネルギー】極東・ワニノ港で石炭搬出ターミナルを整備

【産業多角化】企業診断で経営指導

【極東産業振興】ハバロフスクの空港整備

【先端技術】原発廃炉に向けた共同プロジェクト

【人的交流】ビジネス用ビザ緩和

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 〈北方領土〉 択捉島、国後島、色丹島、歯舞群島の北方四島を指す。第2次世界大戦末期の1945年8月9日、当時のソ連が対日参戦し、日本領だった千島列島と北方四島を9月初めまでに占領。約1万7千人の日本人島民は退去させられた。日本政府は、北方領土は日本固有の領土であり、日ソ中立条約を無視したソ連の対日参戦は不当で法的根拠のない占拠だと主張している。

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 〈ビザ(査証)なし交流〉 北方四島の元島民とロシア人島民らの交流のため、旧ソ連のゴルバチョフ大統領の発案で1992年から始まった。2015年までに日本側の対象者は徐々に拡大し、元島民や子孫、返還運動に取り組む団体関係者、報道関係者ら延べ1万2439人が4島を訪問した。4島のロシア人は8859人が訪日している。

 出入りの手続きができるのは国後島・古釜布だけで、週末は手続きを受け付けていないため、手続きを他島でもできるようにしたり、訪問対象者に「経済関係者」を加えたりする案が浮上している。ただ、厳しい環境の海を通航できる船の調達や、島側の受け入れ態勢の限界など課題も多い。

 この他に、元島民や家族がビザなしでふるさとを訪れる方法は「墓参」と、かつての住居跡などを訪れる「自由訪問」がある。墓参は旧ソ連時代の1964年から人道的配慮で認められ、99年には自由訪問が加わった。

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 〈共同経済活動〉 北方四島の領有を主張して対立する日本とロシアが、まず合弁事業などの協力を進めて両政府の信頼関係を深めようという考え。これまで、栽培漁業やインフラ整備などを想定した協議が行われた。

 1996年、訪日したプリマコフ外相(当時)が中曽根康弘元首相に提案。98年には小渕恵三首相(同)とエリツィン大統領(同)が「共同経済活動委員会」を設立することで合意した。4島周辺での養殖事業などが検討されたが、構想は立ち消えになった。

 相手国の法律を、自国の「領土」には適用できないという双方の立場が壁となっている。2011年2月の日ロ外相会談では、日本側から共同経済活動の可能性に言及。前原誠司外相(当時)が「お互いの法的立場を害さない前提で何ができるのか、検討をしよう」と提案した。ラブロフ外相は「お互いに、外務省に検討の指示を出そう」と応じたが、この時も事業の具体化には至らなかった。