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「死んでもいいの。好きなようにさせて」

(がんで余命2カ月と言われた母の言葉)

 がんを患っていた母が昨年、再び入院しました。体力と認知機能の両方が急激に低下したためです。以前からUSJ(ユニバーサル・スタジオ・ジャパン)に行ってみたいというリクエストがあったので、退院したら行くということで計画もすすめていました。しかし糖尿病治療のための制限食を「おいしくない」と言って食べず、どんどん衰弱。とうとうお医者様から余命2カ月と診断されるところにまでなってしまいました。それでも母は、いつもの言葉を繰り返しました。

 「死んでもいいの。おいしいものしか食べたくないの」

 お医者様にも以前からUSJに行く話はしていたので、つれていくなら今のうちに、と特別に退院させていただくことになりました。容体が悪化した場合の受け入れ病院も確認し、体調がよくても1日半だけ楽しんだら直接病院にもどり緩和ケア病棟に入院するという条件で。

 USJでは、お医者様や看護師さんの心配とは全く逆に、食欲も出て元気いっぱい。2日目も帰りたくないと駄々をこねるのを無理やり引き返しました。

 緩和ケア病棟には、疲れていた私のために仕方なく入っていたのでしょう。早く退院したがり、1週間で帰宅し、訪問医療に切り替えていただくことになりました。

 私が会社に出かけている間は訪問介護、訪問看護を受けていたのですが、他人に自分の時間を邪魔されるのを嫌がり、最低限の時間しか来ていただきませんでした。おむつが汚物で不快な時間が長くなっても、ひとりの気ままな時間を過ごしたがりました。好きなテレビ番組を見て、好きなものを食べる生活。お餅やうどんが好物でした。私が車いすで連れ出す以外は寝たきりでも、生き生きとしていました。

 「死んでもいいの。好きなようにさせて」

 名古屋港水族館に行きたいというリクエストにどうやって応えようかと考えているうちに、今度はお医者様から余命2週間という宣告。集落の草刈り作業を休ませてもらって、急遽(きゅうきょ)近場の志摩スペイン村に連れて行くことにしました。麻薬で痛みをごまかしながら、救護室に何度もお世話になりながらも、「ディズニーランドよりも、USJよりもここが一番楽しい」と喜ぶ母。「あんたの小さいとき、いろいろ連れていってあげたけど、行ってないとこに色々行きたい」と言い、次は鳥羽水族館に行く約束をしました。「そんなすぐでなくても、田植えが終わってからでもいいよ」と母。しかし翌週には意識がなくなり、お医者様の見立て通り2週間後に他界してしまいました。65歳でした。

 意識がない最後の1週間、テレビから鳥羽水族館のCMが流れると、うっすら目を開けたり表情が変わったりしたことは忘れられません。もっと早く退院させて好きなところにつれていけばよかったと、今でも後悔しています。同じ死ぬなら楽しんで死にたい。きっと私もそう思うでしょう。どこまで治療を続けるのか、どこでどう過ごすのか、決断するのは早ければ早いほうがいいと思いませんか。

◆三重県 農業 女性 44歳

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 朝日新聞文化くらし報道部「介護 あのとき、あの言葉」係

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