[PR]

内藤達郎さん(75)「報復断ち切る」

 《「ヒロシマ」という片仮名書きは、単なる「広島」ではない》

 広島市佐伯区の内藤達郎さん(75)は朝日新聞の被爆者アンケートに「わたしの平和宣言」と題したメッセージをつづった。宣言は、こんな一文から始まる。

 3歳だった被爆時の記憶はない。1945年8月6日午前8時15分。爆心地から4・8キロの仁保町(現・南区)の自宅にいた。2歳年上の姉が国民学校から自宅に戻ると内藤さんは防空壕(ごう)で立ちすくんでいた。そう後に聞いた。「想像ですが、黄金山の上にのぼるキノコ雲を見ていたのではないでしょうか」

 市内で働いていた母は、被爆後ほぼ寝たきりになり3年後に亡くなった。東洋工業(現・マツダ)に勤めていた父は失業し、福岡県の炭鉱で働くことになり、きょうだいと一緒に移り住んだ。

 内藤さんは中学を卒業後、住み込みで歯科技工士として働いた。小倉や呉を経て広島へ。国家資格を取り、広島国泰寺の定時制高校を23歳で卒業した。25歳で結婚し2人の息子が生まれ、県歯科技工士会長も務めた。2000年に広島大学の法学部を卒業し、大学院で医療経済を学び05年に修士課程を修了した。

 日々忙しく、「ヒロシマ」を意識することはなかった。「爆心地から距離があったこともあり、被爆者という意識は薄かった」と振り返る。

 50歳を過ぎたころに、最初の…

有料会員限定記事こちらは有料会員限定記事です。有料会員になると続きをお読みいただけます。

有料会員限定記事こちらは有料会員限定記事です。有料会員になると続きをお読みいただけます。

有料会員限定記事こちらは有料会員限定記事です。有料会員になると続きをお読みいただけます。

有料会員限定記事こちらは有料会員限定記事です。有料会員になると続きをお読みいただけます。

980円で月300本まで有料記事を読めるお得なシンプルコースのお申し込みはこちら