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 水島寒月のモデルは、漱石の五高時代の教え子で、「天災は忘れられたる頃来(きた)る」という名言を残した物理学者で随筆家の寺田寅彦とされている。名言は高知市の「寺田寅彦先生邸址(やしきあと)」の碑銘の下に記されている。気脈が通じ合う2人は、終生、親愛と敬意にみちた濃密な師弟関係を結んだ。寅彦は、科学的な知識の豊かな所有者であり、それを師に惜しげもなく提供した。寒月の「首縊(くく)りの力学」(三章)にも、寅彦の知見が関わっていただろう。

 明治38(1905)年1月の寅彦日記に、「椎茸(しいたけ)を嚙(か)んで前歯一枚折る」(2日)、「御茶の水より電車にて阪井へ行き、琴、三絃、バイオリンにて六段など合す」(3日)、「夏目先生と本郷へ散歩」「……帰りに鼠骨(そこつ)君、新聞社員には随分変った人があるとて、東橋で後向きに飛んで橋の上に落ち、後飛(こうひ)と号した人の話しなどす」(4日)とある。「鼠骨」とは子規の友人で新聞「日本」記者の寒川鼠骨のことだ。こうしたユーモラスな話題は、漱石固有の文学的テーマである「人間の感応」と融合され、寒月の幻聴体験として「ホトトギス」2月号の続編(二章)に取り込まれた。脱稿が1月11日だから10日も経っていない。欠けた前歯は、寒月のトレードマークとなった。

 寒月は「臥竜窟(がりょうくつ…

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