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 「遠藤ーっ!」。場所中の午後2時。国技館の南門周辺は、ファンでごった返す。横綱と大関以外の全力士が、声援と拍手を浴びながらここを通って支度部屋に向かうのだ。

 いま、「若貴ブーム」以来の相撲人気に沸く。八角理事長(元横綱北勝海)は「両国駅の目の前という立地も大きなファンサービス。先人に感謝しないと」と語る。

 大相撲が蔵前から再び両国に戻ったのは1985年初場所。新国技館建設を進めたのが、70~80年代に協会を背負った故春日野理事長だ。「土俵の鬼」と呼ばれた横綱若乃花とともに戦後の「栃若(とちわか)時代」を築いた44代横綱栃錦である。

 両国駅はかつて、千葉方面から東京に向かう列車のターミナル駅だった。JR東日本千葉支社は「貨物列車が隅田川を渡れず、両国駅で荷下ろしされていたのです」と説明する。ターミナルの役目を終え、80年ごろの駅裏手には貨物駅の跡地が広がっていた。「ここらに新しい国技館が建つといいなあ」。春日野理事長は口癖のようにそう語り、聖地・両国での国技館再建を夢見ていた。

 栃錦から「春日野」の名跡を継いだ元横綱栃ノ海の花田茂広さん(78)は「先代(栃錦)は、借金を次世代に残してはダメだ、と言い続けていました」と振り返る。新国技館を無借金で建てようとしていた。

 そのため栃錦は、力士や親方の給与を抑えて貯金を増やした。「いま苦しくても必ず良くなる。辛抱だ」と話していたという。八角理事長が83年に新十両に昇進した際は「月給28万円だった。ずいぶん抑えられていたよね」と笑う。いまの十両の給金は4倍以上だ。

 そうして150億円を作った。…

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