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宮川雅一さん(1934年生まれ)

 長崎市今博多町。電車通りに面した「宮川ビル」の1階部分をのぞきこむと、教会や近代化遺産、神社仏閣についての書籍や古写真、地図などが飾ってある。

 「長崎の近現代の歩みを網羅的に学ぶことができる場所にしたい」。長崎の近現代史を本格的に研究して四半世紀になる宮川雅一(みやがわまさかず)さん(82)は話す。1945年8月9日、当時は「宮川商店」だったこの場所で被爆した。幸いにも一家は無事だったが、火災におびえ、壊滅状態の浦上を通って時津に疎開した。戦後は長崎東高、東京大を経て旧自治省に入省。東京と地方を往復していたが、79年に当時の長崎市長から声がかかり、同市で助役を務めた。近現代史への興味は出島復元に関わったことがきっかけだという。

 先輩記者からの紹介で宮川さんと出会った。初めて話したときから、豊富な知識と温かみのある雰囲気にひきこまれてしまった。今博多町の事務所に足を運び、長崎のまちの歩みと来し方を聞かせてもらった。

 宮川さんは江戸時代創業の宮川商店に生まれた。祖父や父から聞いた話だと、先祖は島原半島から長崎の大浦の辺りに移り住み、海産物を販売。天保9(1838)年に現在の今博多町へ移り、昭和にはたばこや酒を販売しながら、質屋もしていた。

 宮川商店があった場所には現在はビルが立つ。だが敷地は本来、もっと広かった。現在の賑橋から馬町の電車通りは片側2車線の道路だが、もとは片側1車線で歩道もなかった。道路が2回にわたって拡幅され、宮川家の敷地も道路と歩道の分だけ小さくなった。

 敷地には白壁の立派な土蔵が二つあった。小さいとき、こっそり土蔵の中を物色したことがあるという。簞笥(たんす)の引き出しから数十本のさび付いた刀を見つけた。「明治維新で武士が貧乏をして質に入れたのでしょう」と宮川さん。刀は戦後、長崎に上陸した進駐軍が没収していったようだった。

 最近まで弟がコンビニエンスストア「ココストア」を経営。商家の名残があった。

 宮川さんは4人きょうだいの3…

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