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 「主人は痘痕面(あばたづら)である」と始まる九章を読み進めると、「鏡」についての面白い観察に出会う。「猫」で「鏡」の語が初めて登場する箇所だ。いつもは風呂場にある鏡が、主人の書斎の机の上で光っている。鏡に顔を映して、一人観察していたのだ。それに気付いた「吾輩」の想念は、「元来鏡というものは気味の悪いものである」の一文から一気に深まる。

 自己の外形を映す行為が、実は自分自身の深部を明らかにしてしまうことを、私たちは普段気づかない。ただ、直感的に「気味の悪い」感覚があるだけだ。「鏡は己惚(うぬぼれ)の醸造器である如(ごと)く、同時に自慢の消毒器である」という印象的な一行の奥には、人間のどろどろした心情の混沌(こんとん)が隠されているのではないか。九章の結末の「何が何だか分(わか)らなくなった」の一文は、「主人」の「心的作用」をそのまま描いたものと「吾輩」は言うが、そうした自慢の「読心術」について書き記しながら、漱石は「何だか分らない」ものの存在を実感していたはずだ。猫の快気焰(かいきえん)の裏側には、作者の死まで続く、作品を書き続けることから生まれる現実との違和感がすでに垣間見える。

 漱石はその晩年、若き芥川龍之…

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