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 長く大相撲の取材を担当し、両国を歩いてきた。抱きしめたいほど、けなげな街だ。関東大震災と東京大空襲で2度焼き尽くされた悲劇の街には、そこかしこに焼け焦げた石碑がたたずむ。一方で、悲しみにうちひしがれても笑顔で前を向いてきた両国には、和服の似合う華やぎがある。

 にぎわいの中心にあるのは、いまも昔も大相撲だ。江戸~明治に仮設小屋で催した「回向院(えこういん)時代」。明治末年に常設となった「旧両国国技館時代」。蔵前から再び両国に帰った「現国技館時代」。三つの時代をたどりつつ、相撲の街・両国を3回に分けて描く。まずは、回向院時代から――。(抜井規泰)

 朝8時。澄み切った初春の青空に、やぐら太鼓の音が響く。

 緑青の大屋根が印象的な国技館。新たな年の始まりを告げる大相撲初場所が始まった。関取のしこ名を染めた色とりどりの幟(のぼり)が揺れ、和服姿の人たちが笑顔で木戸を通り抜けていく。

 風景に相撲が溶け込む両国。いまも15部屋が墨田区内に門を構え、毎朝あちこちの路地に「ズシン」と力士がぶつかる稽古が続く。浴衣姿の力士が街角で肉まんをかじっていても、珍しがる人などいない。

 両国とは、どんな街か。江戸東京博物館の竹内誠・前館長は「聖なる祈りと俗なるエンターテインメントがモザイクのように入り交じっている」と語る。

 両国は、悲劇から生まれた。死者10万人の日本史上最悪の火災「明暦の大火」(1657年)を機に隅田川に両国橋が架かり、人の住まない低湿地だった両国は江戸と結ばれ、浅草と並ぶ江戸の2大盛り場へと開けていった。

 「大火の犠牲者を弔うために建てられたのが、この回向院です」。本多将敬副住職(40)はそう語り、供養塔を見上げた。戦争や災害で命を落とした身元不明の犠牲者を弔うおびただしい数の石塔が本堂の脇に集められている。ひときわ大きな大火の供養塔には、いつも花が供えられている。

 《濹東(ぼくとう)の 回向院…

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