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 お下劣パロディーでおなじみのマンガ家・田中圭一さんが、ご自身の体験などを基に描いたうつ病脱出コミック「うつヌケ うつトンネルを抜けた人たち」(角川書店)を19日に出し、普段の芸風とは違う真剣な内容が話題を呼んでおりますので、それを勝手に記念し私が最近読んで面白かった「闘病マンガ」をいくつかご紹介しましょう。

 マンガ家が病気と闘う自分を描いた「闘病マンガ」。その魅力は、知らない世界を知る面白さ(怖いもの見たさ含む)であり、健康のありがたさがつくづく身にしみるところであり、そしてどん底から回復へ向かう過程がおのずと「人間賛歌」になり、しかもまるでウソくさくないところ(本物の実感がこもっているのですから当然です)。病院や保険や福祉制度の勉強にもなります。

 症状が現れた時の不安、正体が分からぬまま悪化する恐怖、そして判明する病名、治療法の模索といったあたりはミステリーのようなスリルとサスペンス。提示される治療法、闘病への覚悟、そして「患者・医者・家族」vs「病気」の攻防は、一種のアドベンチャーです。マンガ家(のタマゴ)がマンガを支えに生きようとあがくドラマはマンガファンには感動的。そして、つらい体験をマンガにして笑い飛ばそうとする姿勢がポジティブなパワーを放ちます。病気がメンタルのものだった場合には、闘病の下り坂にも上り坂にも独特の複雑なカゲ、アヤ、ワナが加わり、人の心の不思議さ、怖さ、ままならなさについて考えさせられます。

 というわけで、苦しい闘いを生き抜く作者の皆さんの強さと、マンガとして面白がって欲しい!という情熱に敬意を込めて、「華麗なる」とタイトルにつけてみました。

 「うつヌケ」は、ロックミュージシャンの大槻ケンヂさんやフランス哲学研究者の内田樹さんら17人の様々な「うつヌケ」体験を田中さんが聞き、自身の体験と照らし合わせながら「なぜうつになるのか?」「うつになったらどうしたらいいのか?」を探り、うつで苦しむ読者にそこから抜けるヒントを何か見つけ出してもらおう、という内容です。どのケースも切実で、うつトンネルに入り込む状況は「あるある」な感じがいっぱいです。

 田中さんが自分のうつと激しい気温差の関係に気づくあたりは、前述したミステリーの趣。体験者の一人として登場した「折晴子」さんの正体がエピローグで明かされるあたりもイタズラっぽい仕掛けです。「お下劣」皆無の新たな田中圭一ワールドをどうぞ。

 山田雨月さん「ふいにたてなくなりました。 おひとりさま漫画家、皮膚筋炎になる」(ぶんか社)は、ある日突然「10万人に数人の難病」にかかった体験記。検査のため筋肉を剝(は)ぎ取られる感覚を某ファストフードの骨付きチキンに例えるとか、普段から依存していた便秘薬を禁じられ肛門(こうもん)をガッチリふさぐ固い便をついに自らの手で××××するとか、女性にしては思いきった描写が出てきますが、シンプルで素朴な絵柄のおかげでユーモラス。

 シンプル、時には落書き並みの荒っぽい絵というのは、つらく生々しい体験の続く闘病マンガを読みやすくする大事なポイントです。闘病マンガの極北と言える卯月妙子さんの「人間仮免中」(イースト・プレス)みたいに暴力的なまでにすさまじくパンクな絵や、村上竹尾さんの「死んで生き返りましたれぽ」(双葉社)のように表現をそぎ落として前衛的ですらある描法もありますが。

 たむらあやこさん「ふんばれ、がんばれ、ギランバレー!」(講談社)は、准看護師として働いていた22歳(2002年当時)の筆者が難病のギラン・バレー症候群を発症、寝たきりとなって全身をねじりきられるような激痛にのたうち、リハビリのおかげでマンガを描けるまでに回復したものの現在も闘病を続ける波瀾(はらん)万丈の物語。「これ以上はよくならない」という病を受け入れる覚悟や、看護する親類家族(娘のためギャンブル狂から改心した父含む)の奮闘も泣けるのですが、圧巻はリハビリ仲間のT君に馬の絵を描いて贈るくだり。

 落馬事故で重い脳障害を負ったT君に馬の絵を見せた時の反応はまさに「奇跡」。それが、「絵が好きでよかった! 絵が描けてよかった!」と筆者の生きる力の源にもなります。まさに渾身(こんしん)の力を振り絞って描いたその馬の絵は本書で見られます。「技術面ではなく、この絵を超えられる絵はもう描けないと思います」というコメントが、ズシリと重いです。

 「ふいに~」も「ギランバレー!」も病を機に家族愛を確認するお話となっていますが、もちろん世の中そういうケースばかりでなく、中には家族こそ病の元凶、ということも。

 長く自分を呪縛してきた「毒母」との闘いと訣別(けつべつ)を描いた田房永子さんの「母がしんどい」(中経出版)は、親との関係に悩んできた多くの人たちの共感を集めて話題となりましたが、あれから4年、田房さんが昨年発表した「キレる私をやめたい~夫をグーで殴る妻をやめるまで~」(竹書房)は、キレる自分を治そうとする田房さんの「闘病マンガ」と言えるでしょう。

 ささいなことで怒りが爆発し、泣き叫んで暴れる自分を抑えられない田房さんが、生まれたばかりの子に暴力を振るってしまう前に治さねば!と精神科を受診し、セラピーへ行き……。怒りの根底にあるのは、自分を傷つけた母への憎しみと、心に染みついた「自分はダメ」という思い。それに気づいたことで田房さんは穏やかさを徐々に手に入れていきます。

 「母がしんどい」の最後で選んだ「絶縁」がまだ最終解答でなかったとは、問題の根深さに驚かされますが、同時に、心の奥に分け入っていく田房さんの懸命さに打たれ、重苦しい霧が晴れていくような安らぎを覚えるマンガです。

 永田カビさんの「さびしすぎてレズ風俗に行きましたレポ」(イースト・プレス)は、昨年を代表するマンガの一つと言っていいでしょう。うつ、摂食障害、自傷。生きづらさの根底にある抜きがたい「自分はダメ」という思い。「親に認められたい」という呪縛から自分を解き放つため、28歳・恋愛経験ゼロの筆者は同性愛風俗のおねえさんに抱きしめてもらうことにするが……。

 自身の体験をマンガで公開するという荒療治を自分に施した一種の闘病マンガとして私は読みました。タイトルから受ける印象に反して、中身は実に真摯(しんし)でまっすぐ。絶望的な孤独感、心の痛みとぬくもりへの渇望がヒリヒリと伝わってきます。なおかつおねえさんとのひとときも(エロとは違いますが)しっかりマンガとして楽しませてくれてサービスたっぷり。

 だがしかし、本編ラストページは「さあ明日に向かって走り出せ!」みたいな希望を感じさせてくれるものの、続刊「一人交換日記」(小学館)を読むと生きづらさはまったくと言っていいほど変わらず。母親への執着も振り切れずドロドロ、一人暮らしに踏み切ってもボロボロ……。なんと難儀な道なんでしょうか。

 それでも、かわいらしい絵柄とスッキリして伸びやかな描線は魅力です。闘病マンガには大事なポイントです。そして読む度に感心するのは、心のうちを描く比喩表現の多彩さと巧みさ。こんなにこんがらがった自分の心を、しかも現在まだほどけきっていない状態のままで、こんな風に分かりやすく面白く解説できるものなのか。そして、ここまで分かっていても、やはり心は救われないのか。いろいろ考えさせられます。

 難病の症状も治療法も医療制度も排便も家族愛も心の闇も、絵と言葉でスッとのみ込ませてくれる。そんなマンガという表現の豊かさを味わえるのもまた、「闘病マンガ」の魅力です。