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 外務省が1月に公開した外交文書には、70年代から80年代初頭の日中関係についての記録があった。取材していくと、当時の中曽根康弘首相と中国の趙紫陽首相、胡耀邦総書記らによる人間くさい「首脳外交」の現場が浮かび上がってきた。なぜここまで蜜月関係を築けたのか。そしてなぜその後、関係がこじれてしまったのか。

 1983年11月に胡氏が来日し、返礼として84年3月に中曽根氏が訪中した。専門家とともに当時の記録を読み進めると、両首脳が外国訪問時のお互いの体調を気遣ったり、中曽根氏が「ハリを打ってあげましょうか」と申し出て趙氏が笑ったり。家族ぐるみのリラックスした食事会など、親密さを示すエピソードがちりばめられていた。専門家は「首脳同士の息づかいが伝わってくる内容だ」と評価した。

 そんな日中関係がこじれた理由とは――。専門家の話からは、二つの要素が浮かび上がった。

 一つ目は意外だが、なるほどと思わせるものだった。取材した専門家の一人は「首脳外交があまりにも緊密すぎたため、中国側が中曽根氏をミスリードしてしまった可能性がある」。中曽根氏は中国側の反応を甘く見積もり、85年の終戦記念日に靖国神社を参拝。関係悪化への一歩を踏み出してしまった、というのだ。

 中曽根氏は訪中の際、趙氏の孫を抱いて写真を撮るほど親密さをアピールできた。そんな中曽根氏が「靖国神社に参拝しても中国は許してくれる」と誤解したとしても不思議はないのかもしれない。

 もう一つの見方は、日中にとって共通の脅威だったソ連が崩壊したという視点だ。別の専門家は「この時期の東アジアの外交の基準は米国がどう出るかではなく、いかに協調してソ連に対抗するかどうかだった」と指摘した。ソ連の脅威が減る80年代後半にかけ、中国側の対日協力への「うまみ」も低下。自国の経済成長とともに自信を深めた中国が、歴史問題を絡めて日中関係を語り始めて、関係が悪化したという構図だ。

 歴史に「もし」はないが、中曽根氏に会えたら、こうした見方をぶつけてみたいと思った。(杉崎慎弥

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 国際報道部記者・杉崎慎弥 1978年生まれ。安倍晋三首相とトランプ米大統領の関係に注目しつつ、4月から赴任するイラン・テヘランでもビビッドな外交交渉を取材したい。ツイッターアカウントは「@sugizakishinya」

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