拡大する写真・図版 キャンプ・シュワブのゲート前では、海上作業員の車両が入るのを阻止しようと反対派と機動隊が一時にらみ合った=6日午前8時17分、沖縄県名護市、金子淳撮影

[PR]

 米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の県内移設に反対する人々、機動隊員、工事関係者――。名護市辺野古沖で海上工事が始まった6日、立場の異なる県民同士が向き合った。移設計画の浮上から20年余り。国が進める工事をめぐって、様々な溝が刻まれている。

 移設予定地の陸側にある米軍キャンプ・シュワブのゲート前。海上工事が始まり、集まった人々が移設計画への反対を訴えた。

 車の出入りを止めようと腕を組んで座り込む。県警の機動隊員が数人がかりで一人ずつ抱え、強制的に排除。「同じ県民だろう」「何のための仕事か」。群衆の怒号が飛ぶ。ゲートは約2時間、座り込みのため封鎖された。

 排除された一人に辺野古住民の金城武政さん(60)がいた。抗議活動に関わり約15年。「海上工事が始まって怒りは増した。絶対に諦めません」と語った。

 ベトナム戦争中の1969年。アポロ11号が月面着陸に成功したその年、両親はシュワブの米兵相手のバー「APOLLO」を開いた。辺野古の街に米兵はドルを落とした。だが74年10月、店番をしていた母の富子さんは米兵にブロックで殴り殺された。

 新基地で往時のにぎわいを。そんな声を耳にしても「あり得ない。事件や事故が増えるだけだ」と否定する。

 この朝、工事関係業者の車が集まる隣の集落にも向かった。近寄って工事の中止を呼びかけた。ある業者は「食べていかないといけない。やらずに済めばいい仕事だけれど」と返した。別の業者は窓を閉めたまま、笑ってこちらを見ていた。

 「住宅地の普天間飛行場をいち早く返還させるためには(移設を)進めるべきだ」。元名護市議会議長の島袋権勇(けんゆう)さん(68)は、工事着手を歓迎する。94年から名護市議を4期16年間務め、移設問題に関わってきた。

 辺野古区(自治組織)の長も経験。50年代にできたシュワブと「辺野古は共存共栄してきた」と語る。基地関係の建設事業や雇用などで地域は発展した。「林産物だけだった辺野古に基地ができ、経済が大きく変わった」と振り返る。

 しかし、ベトナム戦争後、辺野古は次第に活気を失っていった。区長や市議として活性化に頭を悩ませた。区の大半を占める基地が壁だったという。「基地を前提に活性化を考えようと結論付けた」。辺野古への移設計画を「航空機は海上を飛ぶ」という条件付きで容認した。

 ただ安倍政権に注文がある。「決して基地を誘致したわけではない。基地がくることに住民の不安はある。集落の上に航空機が飛ぶことがないよう米国に強く求めてほしい」(岡村夏樹、田中久稔)

■汚濁防止膜、設置に…

この記事は有料会員記事です。残り1065文字
ベーシックコース会員は会員記事が月50本まで読めます
続きを読む
現在までの記事閲覧数はお客様サポートで確認できます
この記事は有料会員記事です。残り1065文字有料会員になると続きをお読みいただけます。
この記事は有料会員記事です。残り1065文字有料会員になると続きをお読みいただけます。