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【2014年5月5日朝刊20面】

 聖武天皇の後継として即位した孝謙(のちに称徳)天皇の寵愛(ちょうあい)をたてに政治を私物化し、天皇にまでなろうとしたという奈良時代の僧・道鏡。こうしたイメージは近年、修正されつつある。

 道鏡の生年ははっきりわかっていない。700年頃、今の大阪府八尾市付近で生まれたと言われる。弓削(ゆげ)氏の出身と考えられることから、弓削道鏡と呼ばれることもある。

 孝謙太上天皇(上皇のこと。その後、再び即位して称徳天皇)の病気を「秘法」で治した功績で、763年に少僧都となる。その後、65年に太政大臣禅師、66年に法王と出世し、位人臣を極めた。

 天皇の信頼を良いことに身内を引き立て悪政を行ったが、769年に「道鏡を天皇の位につければ国家は安泰」とする偽の神託を奏上させる事件(宇佐八幡神託事件、道鏡事件とも呼ばれる)を起こして失脚。称徳天皇没後の770年に造下野薬師寺別当に左遷され、その2年後、失意のうちに亡くなったとされてきた。

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 だが近年の研究によって、こうした見方は変わりつつある。

 関西学院大学教授の中西康裕さん(日本古代史)は1990年代に発表した論文で、「道鏡事件」の記載がある歴史書『続日本紀』の検討をもとに、道鏡事件は、続日本紀の編纂(へんさん)者によって捏造(ねつぞう)されたとの説を唱えた。

 中西さんによると、道鏡が天皇の位を望んだというくだりは『続日本紀』の地の文に記載されているだけ。さらに道鏡失脚後も偽の神託を見破る功績があったとされる和気清麻呂(わけのきよまろ)は昇進していないし、道鏡は造下野薬師寺別当に左遷はされたものの、還俗(僧侶の身分から一般人に戻す刑罰)はされていないなど、皇位の簒奪(さんだつ)を試みた事件としては、不自然な点が多いという。

 そして、続日本紀が桓武天皇の治世下で編纂されたことから、「桓武が自らの出自である天智天皇系の皇統の正統性を主張し、天武天皇系である前王朝の称徳をおとしめるために、事件を創作した可能性が高い」と結論づける。

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