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 紙面の右下の隅に、いつもある原稿用紙1枚分ほどの記事。少しずつ、でも毎日、被爆者らの体験を伝えようと、2008年8月から朝日新聞長崎県内版で連載してきた「ナガサキノート」が1月で3千回を超えた。280人以上の証言を積み重ね、核廃絶や平和への願いを伝えてきた。

笑顔の別れ、母との最後に

 「母ちゃん、行くよ」。1945年8月9日、小崎登明(おざきとうめい)さん(88)=長崎県諫早市=はそう声をかけて、爆心地から500メートルの長崎市岡町の自宅を出た。いつもは「行っといで」と送り出す母が、その日は返事をしなかった。特に気にもせず、玄関を出て振り返ると、台所の窓から食器を洗う母がにっこりと笑った。まさか、あの笑顔が最後になるとは思わなかった。

 空襲を避けるためトンネル内に造られた三菱兵器製作所の工場(同市赤迫)で少年工員として働いている時、ドーンという爆音と同時に爆風が吹き込んできた。両目が飛び出し、舌をべろんと出して立ったまま黒こげになった人。苦しんで動けない人……。散乱した死体の中を、自宅をめざして歩いた。

 5時間ほどかけて自宅が見えるところまで来たが、何も残っていなかった。小崎さんが工場の機械を使って金属片から作った指輪を、母はいつもしていた。焼き尽くされた家からは、指輪はおろか、母の亡きがらさえ見つからなかった。

 自宅に向かう途中、三菱兵器大…

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