無言の凶弾、あの夜何が 阪神支局襲撃30年目の証言

報道の自由はいま

吉沢英将
[PR]

 1987年5月3日、憲法記念日の夜だった。朝日新聞阪神支局(兵庫県西宮市)で記者2人が殺傷された。その後、標的は名古屋本社の社員寮などにも広がり、多くの市民が「言論の自由」を暴力で封殺しようとした事件と受け止めた。襲撃事件からまもなく30年。当時を知る人たちの証言をもとに事件を再現する。

 日曜日の夜、阪神支局2階の編集室には休日態勢で3人の記者がいた。原稿が一段落した後、食事を終え、応接ソファでくつろいでいた。

 午後8時15分ごろ、高山顕治記者(55)は編集室の通路に人の気配を感じ、視線を移した。

 黒っぽい目出し帽をかぶり、散弾銃を腰に構えた男が立っていた。「最初は誰かのいたずらだと思った」

 男は一言も声を出さず、入り口側の方を向いて座っていた犬飼兵衛記者(72)に、いきなり発砲した。犬飼記者の反対側にいた小尻知博記者(当時29)に近づき、約1メートルの至近距離から、さらに1発を放った。

 2発の銃声が響きわたった。小尻記者の右側に座っていた高山記者は、耳が一瞬、聞こえなくなるほどのごう音だった、という。銃口は高山記者にも向いたが、男は無言のまま出て行った。

 「足音もなく、落ち着き払っていた」

 小尻記者はソファに顔をうずめるように崩れ、「うーっ」とうめき続けていた。犬飼記者は床で仰向けになっていた。

 「朝日新聞です。銃で2人が撃たれました。救急車も呼んで下さい」。高山記者は110番通報。大阪本社社会部や支局長、支局員らへの連絡に追われた。

 犬飼記者の小指は吹き飛び、薬指は皮1枚残してぶら下がり、中指も半分ちぎれかけていた。犬飼記者は訴えた。「腕を縛ってくれ」

 8時23分、県警西宮署のパトカーが到着。警察官が編集室に駆けあがると、入り口の扉は鍵がかかっていた。高山記者は施錠した理由をはっきり覚えていないが、「犯人が戻ってくると思ったからではないか」。

 事件後の数カ月間、銃を構える目出し帽の男の夢を見ることもあった。「自宅に夜帰る時も怖かった」

 それでも、この30年間、写真記者として各地の現場を踏み続け、今は埼玉県の秩父支局長として地域のニュースを追いかけている。

 「事件で報道が萎縮することはあってはならない。暴力に屈しない、と写真や原稿を発信してきた」。そんな思いが支えてきた。(吉沢英将)

有料会員になると会員限定の有料記事もお読みいただけます。

【10/25まで】すべての有料記事が読み放題!秋トクキャンペーン実施中!詳しくはこちら

報道の自由はいま 記者襲撃、やまぬ世界

報道の自由はいま 記者襲撃、やまぬ世界

命の危険にさらされる記者たち。報道の自由を取り巻く現実は。[もっと見る]