拡大する写真・図版 飛鳥寺西方遺跡で出土した建物跡とみられる柱の穴=23日午後、奈良県明日香村、小林一茂撮影

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 大化改新の立役者、中大兄皇子(なかのおおえのみこ、後の天智〈てんじ〉天皇)と中臣鎌足(なかとみのかまたり)が蹴鞠(けまり)を通じて初めて出会った「槻(つき)の木の広場」とされる奈良県明日香村の飛鳥寺西方(せいほう)遺跡で、7世紀後半とみられる1棟の建物跡がみつかった。村教育委員会が23日発表した。同遺跡で出土した初めての本格的な建物跡とみられ、専門家は「日本書紀」に記録された辺境の人々をもてなした饗宴(きょうえん)施設などの可能性を指摘する。

 遺跡は日本初の本格的寺院・飛鳥寺の西側に広がり、村教委が2008年度から発掘調査を継続。広範囲な石敷き遺構が出土し、槻の木の広場だったとみられる。今回の調査地は寺の西門跡から南西約120メートルの遺跡の南端にあたり、柱の穴(1辺約1・2メートル、深さ約90センチ)9個を確認。村教委によれば、少なくとも東西11メートル、南北6・5メートルの常設の高床式の建物があった可能性があるという。

 広場は大化改新や壬申(じんし…

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