『震災6年 野津裕二郎さん、里美さん夫婦からのメッセージ(宮城県石巻市)』
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被災地からのメッセージ2017(3)

 宮城県石巻市。東日本大震災では、津波で多くの人が命を落とした。仙台から近く、県外から支援に入りやすいこともあり、多くの医療や介護の関係者がかかわってきた。それから6年。市街地から遠い牡鹿(おしか)半島(旧牡鹿町)に残った高齢者を支える取り組みをはじめ、牡鹿半島の十八成浜(くぐなりはま)に家族で移住した野津裕二郎さん(29)。支援として地域に入り、今は住民として暮らす中で、何が見えてきたのか。看護師の里美さん(35)、一歩ちゃん(7カ月)と何にチャレンジしようとしているのか。一家を訪ねた。

空き家でサロンがヒントに

 野津さんと最初に出会ったのは、2011年12月だった。神奈川県内の病院で作業療法士をしていた20代の青年が、牡鹿半島の仮設住宅に併設されたサロンを巡回し、住民の健康チェックなどを行っていた。そこに参加していた。

 野津さんの活動を本格的に取材したのは、2014年6月。津波で被害を受けた空き家を借りて修繕し、半島に残った高齢者が集うサロン「おらほの家」を運営していたときだった。

 料理を作ったり、庭先の菜園で野菜づくりをしたり、梅の実を収穫して梅酒を作ったり、かつて自分たちが行っていたことを取り入れることで、日常生活動作(ADL)の悪化や孤立感を防ごうとしていた。

 当時、こんなことを言っていた。

 「何歳になってもワクワクできる居場所。みんなで作り上げていく自分たちの居場所。おらほの家は、僕たちスタッフの居場所ではなくて、住民の意思が大事なんです」(2014年6月19日取材)

 それ以来、2015年、2016年と、3月11日を迎える前に訪ね、インタビューしてきた。

 独身だった野津さんは、活動で知り合った看護師の里美さんと結婚。昨年7月には長男一歩ちゃんが生まれた。野津さんは昨年春から、石巻でも津波の被害を受けなかった蛇田地区にある介護事業所で介護の勉強を始めた。人口減少と高齢化率は、震災後、時が進むにつれ、急速に上昇している。2011年3月末日現在で4506人、高齢化率39.97%だった牡鹿地区だが、2018年3月末日には2891人、高齢化率44.97%になり、今年1月末日には2669人まで減った。

課題解決先進地モデルはどこまで進んだか

 十八成浜。松林と海水浴場があった砂浜は、震災による地盤沈下で消えた。海岸沿いを走る幹線道路沿いには応急措置の防潮堤が作られ、波しぶきを避けるため、迂回(うかい)路が設けられている。高台にあった住宅は津波を免れたが、家が流されてしまった住民は、仮設住宅を経てさらに高い場所の造成地に移り住んだ。野津さんが地元の人から紹介され購入した家は、閉鎖された仮設住宅の隣にあった。

 平屋建てで引き戸の玄関を入ると、カメラ好きという一歩ちゃんが手を振りながら迎え入れてくれた。裕二郎さんは神奈川県出身、里美さんは広島県出身だ。

 短期的な支援が多い中、野津さん一家はなぜ、家を購入して定住したのかと、聞くと「ご縁があったんですよね」と答えた。

 「都会よりも牡鹿半島のような自然が豊かなところで、人のつながりがすごい大事にされていて、人と自然が共存しているような地域で暮らしたいというのがあったんです・・・」

 裕二郎さんは今、車で1時間ほどかかる内陸部の介護保険事業所で高齢者の介護を一から学び、里美さんは仮設住宅から災害公営住宅や自力再建していく人たちの訪問調査をして生計を立てている。

 野津さんは、2015年3月の寄稿文で「課題解決先進地モデルをつくる」と書いていた。震災で被害を受けたが、高齢化、人口減少、医療介護サービスや移動手段といった課題は、全国の過疎地に共通した課題でもある。震災をきっかけに、注目され、人や物や金が集中する今こそ、全国のモデルになる地域になるチャンスだと考えていた。

 今は、どこまで進んでいるのか。それについて尋ねると、最近のある出来事を語り始めた。

 「この前、私が住んでいるこの地域の一人の人が亡くなられたんですね。私たち夫婦によくしてくれた人なので・・・。その方の言葉を借りると、『この地域で最期まで住みたい』という言葉だったんですよね。その方はこの地域で亡くなったんですけど、まだまだ最期までこの地域に居続けることが出来る人は少ない」

 急激な人口減は、直接、津波被害を受けなかった高台にある住宅で暮らす高齢者にも影響を与えた。集落が分断され、家を失った高齢者は、子どもたちが暮らす仙台市や石巻市の市街地などに引っ越していった。石巻市内でも、牡鹿町などとの合併前の旧石巻市地区内では、介護サービス事業者は震災前の数より増えたが、半島部の牡鹿地区は復興の途上だ。

 在宅医療や介護では、住み慣れた地域で、住み慣れた自宅で最期を迎えるための施策が進むが、野津さんが感じているのは、医療や介護のサービスが不足する中で、高齢者の希望があってもかなえてあげることが難しい現実があるということだ。

支援から住民になって気づいたこと

 ただ、希望の兆しはあるという。

 「介護予防のために体操を行う団体もある。そういう意味では、ちょっとずつ前進していっているのかなと感じています」

 野津さんは、2015年の寄稿文で書いていた「社会を変化させるのは行政ではなく、地域の住民一人一人の意識である。地域にあった支え合い・助け合い体制をどう作っていくか。10年20年先を見越し、『今』行動を起こさないと取り返しのつかない重要な時代であると現地で活動しつつ感じている」という言葉通り、地域は少しずつ動き出していると感じているようだ。

 野津さんにこれからを聞いてみた。この6年で悟ったこともある。

 「何かを始めるにしても、どうしても人口規模が少ない。その中でやれることって大きくはない。ただ、小さくても支え合えるような体制は作っていけると思うんですね。お茶っこサロン、小さくて5、6人が集まるサロンが1カ所あって、小さくてもデイサービスみたいなところが1カ所あって、ちょっと送迎してくれるおじいちゃんが1人いたりとか。そういうのがつながっていくと、小さい規模かもしれないけど、その中でサービスというよりはつながり、支え合う見えないつながりが作れると思います」

 難しさも感じている。家族を持った今、夢を追求しつつ、生計を立てていかなければならない。子どもも生まれた。

 「小さき規模で(自分たちが)生活できるだけの給料を得られるだろうか、難しさはあると思いますけど、そういうことをやっていきたいきたいと思います」

 野津さん夫婦は、この夢に向かって、自宅の空き室を利用しながら実現していきたいと考えている。裕二郎さんは、かつて「おらほの家」というサロンの運営の中心メンバーで、そこには里美さんもボランティアとして参加していた。ニーズは把握している。里美さんはこう言う。

 「(おらほの家では高齢の)住民の方が来て、その方が昔は何が得意だったのか、何が好きだったのか、そういうところを大切にして運営してきました。(参加する高齢者が)生き生きとしたり、わくわくしたり、目がきらきら輝いたりしているのを私も感じていたので、この浜でも笑顔や輝ける場所を作っていきたい」

 

■■野津裕二郎さんからのメッセージ「2つの意識が交差する6年目の今」■■■

 私は2016年度から石巻市の市街地にある介護事業所で、介護職兼作業療法士として介護と事業を学びながら働いている。

 震源地から一番近い本土の牡鹿半島で、地域でコミュニティーサロンの運営や仮設住宅での介護予防教室の開催など、いわゆる復興支援活動に従事していたころとは違う。また、結婚し、牡鹿半島の海と夕日がとても奇麗な十八成浜という浜に家を購入し、ビックリするくらいかわいらしい息子が生まれた。

 防潮堤が立ちそびえていく地域の変化とともに、私自身の人生もこの1年で大きく変化してきた。

 題名にある2つの意識とは何か。それは、支援者としての意識と生活者としての意識である。取り巻く環境の変化とともに、2つの意識の割合が大きく変化していった。今、私の中では生活者としての意識の方が大きくなっている。牡鹿半島に住まないと、この地域に住まう方々への支援なんて出来ないと感じて住み始めた5年前とはまた違う意識である。良くも悪くもあの時の勢いは、今ない。地元の方々との距離。支援団体との距離。これらは、住みはじめてから近すぎなくなった。また、住み始めてから出会う人々も変化してきた。無理に関係性を作ろうと積極的に動くこともやめた。

 何十年とこの地域で過ごすことになると思うと、なんだかとても穏やかな気持ちになった。出会う人とは自然に出会い、つながっていくと思っている。

 これからの10年間、私は牡鹿半島に住まう高齢者から、自然との付き合い方、生業、生きる強さ、生きる知恵を教えて頂きたいと思っている。高齢者の生き様を私の世代につなぎ、次の世代に残す歯車の1人になりたいと願っている。牡鹿半島に生きる高齢者の生き様は、現代の若者が抱える様々な課題を解決するヒントが詰まっており、こういう人たちこそ地域の光だと感じている。

 震災から6年が経過した。牡鹿半島でも復興公営住宅が完成し、県道が少しずつ再整備されてきている。私が震災直後の活動を通じて関わるじぃちゃんばぁちゃんは、徐々に牡鹿からいなくなってきている。病気の悪化や独居生活への不安で、息子や娘ら家族のところへ引っ越していく人、老衰で亡くなられた人、様々な理由で牡鹿に住まうことをやめた人が多くいる。

 出来上がったいくものもあれば、なくなっていくものも多い。ある人は「復興は進んだ」と言う。ある人は「何も変わらない」と言う。一言では表現できない牡鹿半島の今を、あなた自身の足を運んで感じて欲しい。

<アピタル:東日本大震災・被災地からのメッセージ>

http://www.asahi.com/apital/special/shinsai/(岩崎賢一)

岩崎賢一

岩崎賢一(いわさき・けんいち) 朝日新聞記者

1990年朝日新聞社入社。くらし編集部、政治部、社会部、生活部、医療グループ、科学医療部などで、医療を中心に様々なテーマを生活者の視点から取材。テレビ局ディレクター、アピタル編集、連載「患者を生きる」担当を経て、現在はオピニオン編集部。『プロメテウスの罠~病院、奮戦す』、『地域医療ビジョン/地域医療計画ガイドライン』(分担執筆)