『震災6年 高野己保さんからのメッセージ(福島県広野町)』
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被災地からのメッセージ2017(2)

 福島第一原子力発電所から約30キロにある福島県広野町の高野病院の院長、高野英男さん(81)が2016年の年末、火災で亡くなった。双葉郡では唯一、避難せずに医療を続けた病院で、経営のかじ取りをしてきた娘で理事長の高野己保(みお)さん(49)を、今年も訪ねた。

1年前から体調異変

 太平洋を望む高台に、病院と系列の特別養護老人ホームがある。病院の屋上から街を望むと、東日本大震災による津波で大きな被害を受けた沿岸部には、大きな防潮堤や公園が完成しつつあり、目にする光景はここ1~2年で大きく変わった。

 町によると、人口が2月末で約5005人、高齢化率26%だが、このうち町内居住者は2968人で、高齢化率33%だという。さらに町内には2016年11月30日現在で3097人の作業員が宿舎などに暮らしている。原発や除染、復興にかかわる全国から集まった人たちだ。

 内科と精神科の病棟を持つ病院の機能は震災前から変わらないが、原発事故で常勤医は院長の高野英男さん1人になってしまった。ここまで続けられたのは、東京都内の大学病院など非常勤医師の協力が得られたためだ。患者も、療養中心の高齢者が多かったが、震災後は、作業員のけがや病気、救急車の受け入れが加わった。

 病院経営は簡単ではない。院長が亡くなってから約1カ月後の1月27日、己保さんは今の心境についてこう語った。

 「ただ一つだけ、病院を継続していくこと。患者さんとスタッフと地域の医療の灯を消さないこと。これだけです」

 この時、内科療養病棟に56人、精神科病棟に47人の患者と、特別養護老人ホームに31人の利用者が暮らしていた。実は、己保さんは1年ほど前から、院長の異変に気づき、少しずつ準備をしてきていた。

 「突然でした。院長はあと10年頑張るといっていたので。ただ、私からしてみれば、去年の春ぐらいから体調をちょっと悪くして、テレビ(NHKの番組))なんかでも転んだ所をお見せしましたけど、ああいう状態が続いていましたので、いつかは何かがあるだろうと頭に入れていたんですね。そのための準備や(県や町への)要望もさせてもらっていた中ですので、院長の命がなくなったということは急でしたけど、病院としてはいつか来る道だったのかなと思っています」

厳しくなるスタッフ確保

 己保さんは、この6年、一番苦労したのがスタッフ確保だった。双葉郡には、原発事故に伴う避難で居住する人がいなくなり、いわき市からスタッフを雇用しようとしても、作業員の車による渋滞で、通勤時間に1時間程度かかる環境だ。看護師確保は、少しは楽になったのだろうか。

 「むしろ今の方が厳しくなってきています。みなさん、震災、原発事故から時間が経ちすぎているので、ここでどんなことが起こっているのかという記憶が薄らいでいる人たちがいてなかなか人集めが難しい。『どこの県でも、どこのエリアでも足りないんだよ』と言われるのは震災直後から変わっていない。半面、まだ原発が落ち着いていないので、本人がよくても親御さんたちが『何も今そこに行く必要はないでしょう』『ほかの所で経験を積んで、それでも行きたければ行けばいいでしょう』と言う方たちも多くて、それはまだ続いている。プラスして興味をなくした人たちもたくさんいる。なので、ここに病院があります、こういう状況ですと言っても、耳を傾けてくださる人たちが少なくなっているというところですね」

 震災前は60%ぐらいだった人件費比率は、70%を超え、80%に近いこともあるという。理由の一つは、震災前より看護職員が10数人多い状態になっている。ただ、これには理由がある。親と同居していた看護職員が避難した先で、仮設住宅が別々になり、子どもの面倒を見てもらえなくなったり、夜勤ができなくなったりするなど、従来の働き方ができない人たちをカバーするためだ。

 「原発事故がなければなかった支出が増えています。地代、家賃、人件費が大きいのですが」「正直言えば、うちは経常損失を出しながらの運営をしています。そこに賠償金を(東京電力から)いただいたりとか、補助金をいただいたりしてぎりぎり黒字にもってきている状況です。結局、(避難して休止中の病院と違って)運営しているので経費は出ていきますので、その算段をしなくてはいけない」

 「私たちがここに残るのは、選ばれて残らないといけない。そのためには、質を落としてはいけない。そのための人員確保は、どうしても余剰になってしまう。それはすべて患者さんたちのためであるというのが、院長の判断だったので・・・」

 病院も変わり始めた。己保さんら病院側が考える医療ではなく、今、町内に暮らす住民が必要とする医療は何かを探るため、今年1月から、地域の人たちとの対話を始めた。

 「町民の会を立ち上げてもらいまして、みなさんがどういった医療を必要とされるのか、病院にはどうあって欲しいのか、ということを考えてもらえたらいいと思います」

 

■■高野己保さんからのメッセージ■■■

 「被災地」と呼ばれる地域がこの6年間でどれだけ増えたでしょうか。

 「被災者」と呼ばれる人たちが、どれほどの人数になっているでしょう。

 残念なことに6年たっても、災害に対応する教訓を、災害後の復興に一番必要なことを見いだせないままいるのが、この国の現状ではないでしょうか。

 私たち高野病院は、東京電力福島第一原子力発電所の原子力災害の被災地に今もあります。避難を余儀なくされた双葉郡の他の病院が再開するその日まで、たった一つ残った病院の責務として、なんとしてもこの地の医療を守らなければならないと、必死の思いで過ごしてきました。しかし、既存の民間病院の再開よりも、公主導の新しい施設の建設ばかりが優先されています。

 患者さんがいる限り、この地の医療の灯を消してはならないと頑張ってきた6年間。「自分がやらなければ、だれがこの地の患者さんを守るのだ」と言って自分の身を削るように、この6年間、患者さんたちと接してきた院長の高野英男は、昨年末に不慮の事故で亡くなりました。

 双葉郡の人たちは、経験しました。ある日突然終(つい)のすみかを奪われることを、日々の生活が奪われることを。医療も同様に、あの日を境にすべて失われたのです。そして原発事故から6年後の今、私たちはまた同じ問題に直面しているのです。高野病院でたった1人の常勤医であった院長を亡くし、「地域の医療をだれが守るのか」という問題を再度突きつけられているのです。

 震災後、ずっと患者さんと地域の医療を守ってきた院長はもういません。医者ではない私は、院長のようには患者さんを守れません。4年目も5年目も同じようなことを繰り返しお話ししていましたが、民間病院であるがゆえに、有事であっても、既存の制度以外の支援を行政から受けられません。経営難で潰れても、後継者が見つからずに閉鎖しても、あくまでも一民間病院の、経営者一族の問題であるとされてしまうのです。そんなことはどこの地域でも起こっていることで、この地だけが特別ではないと、日本全国こんな問題はどこにでもあるとおっしゃる皆さんにこそ、ぜひ想像していただきたいのです。被災したことがない皆さんにもぜひ考えていただきたいのです。

 ある日突然災害が起こって、皆さんの地域の病院がすべて閉鎖してしまった。または地域でたった一つの病院の先生が急にいなくなってしまった。そうなった場合、もういつものようにみてもらえない。お薬がもらえない。往診もしてもらえない。片道1時間以上かけて他の地域の病院へ行かなくてはいけない。家族が入院することになっても、遠くの病院しかない。そんなことを想像してみてください。災害が広域にわたれば、その範囲はさらに広がるのです。

 日本でこれだけ「被災地」や「被災者」が増えている中で、いつ自分の身に同じことが降りかかるかわからないのです。

 私たち高野病院は、双葉郡のこのいまだ復興していない被災地から問い続けます。「地域の医療は誰が守るのか」と。一つの民間病院に任せていいものなのか。その経営者一族にゆだねるものなのか。そうではないはずです。すべての人たちが平等に医療を受けられるように、インフラとしての医療の存続のため、今後どのような災害が起こっても対応できる制度を作っていくことが必要だと思います。6年たってもいまだに震災からの復興が叫ばれる中、大きな建物の建設や華やかなイベントに隠れている、小さな小さな、しかしその地に住む人たちにはとても大切なことにも目を向けられていく震災7年目を迎えられることを切に願っています。

 

<アピタル:東日本大震災・被災地からのメッセージ>

http://www.asahi.com/apital/special/shinsai/(岩崎賢一)

岩崎賢一

岩崎賢一(いわさき・けんいち) 朝日新聞記者

1990年朝日新聞社入社。くらし編集部、政治部、社会部、生活部、医療グループ、科学医療部などで、医療を中心に様々なテーマを生活者の視点から取材。テレビ局ディレクター、アピタル編集、連載「患者を生きる」担当を経て、現在はオピニオン編集部。『プロメテウスの罠~病院、奮戦す』、『地域医療ビジョン/地域医療計画ガイドライン』(分担執筆)