『震災6年 菊地安徳さんからのメッセージ(福島県南相馬市)』
[PR]

被災地からのメッセージ(5)

 福島県南相馬市原町区にある小野田病院の院長、菊地安徳さん(58)は、福島第一原子力発電所から半径30キロ圏内にあった医療機関の中でも、市外への避難をしなかった在宅療養する患者らのために残った数少ない医師だ。原発事故から半年後、在宅医療に力を入れ始めたが、現実は厳しかった。菊地さんに、南相馬での医療から見えてきた現実とこれからについて聞いてみた。

看護師不足深刻

 南相馬市は東日本大震災当時、約71000人の人口を抱えていた。合併があり、原発に近い南から小高区、原町区、鹿島区と三つの地域に分かれている。市によると、2017年1月15日現在、市内に居住する市民は53723人。高齢化率は34%だ。市内のほとんどで居住制限が解除されたが、今も約9000人が市外で暮らす。

 小野田病院はJR常磐線原ノ町駅近くの市街地にある。外科医である菊地さんも2011年から取材を続けている医療関係者の一人だ。まず、この1年で、南相馬の市民生活はどう変わったのか、尋ねた。

 「去年の年末に常磐線がやっと仙台まで通じたり、南相馬市の小高区で去年の夏に居住制限地域の規制が解除されたりしました。人口12000人規模の地区ですが、実際戻った人は、1200人と言っていましたね。5年、6年となりますと、若い人たちは別の地域に移ってしまった人も多いですし・・・」

 「居住制限の解除=住民の帰還」とならないのは、双葉郡の楢葉町などで順次解除されてきた町とも共通する。

 原発事故に伴う入院患者やスタッフの避難で、病棟を一時閉鎖した。南相馬市内の医療機関や介護施設でスタッフの確保は深刻だ。

 「この1年、看護師は増えていないですね」

 この状況を打開しようと、双葉郡医師会が経営していた准看護師学校(震災後休止)を南相馬市に誘致し、4月から養成を始める。正看護師を目指す大学の看護学部が全国各地にできているが、そこからの看護師確保は簡単ではない。菊地さんら南相馬の医療関係者が考えるのは、南相馬で今暮らしている主婦ら仕事を持っていない人たちの戦力化だ。

 「でも、なるべく今資格を持っていない人に准看護師の資格をとってもらって活躍してもらえればなと思うんですよ」

 小野田病院が震災前、稼働させていたベッド数は計199床だった。今は、一般病床が32床、療養病床が53床だ。患者に対する看護師数が少ない配置数ですむ療養病床中心になっている。

ダウンサイジング

 南相馬に限らず、東日本大震災の被災地では、人口減少や高齢化率の上昇といった震災後の状況に応じて医療復興を行うべきだという意見もある。岩手県で被災した3県立病院はみな病床数を減らし、ダウンサイジングした。また、国の医療政策は、できるだけ早く退院させたり、リハビリさせたりすることで日常生活動作(ADL)を落とさないようにして、在宅医療や介護の充実をはかろうとしている。南相馬市原町区には、四つの一般病院があったが、一つは宮城県境に接する新地町に規模を縮小して移転した。

 「今はダウンサイジングした規模で、今のところやっていくしかない。そうでないと、医療を担う従事者がいないわけですからね。ただ、問題は今だけ見ていてもしょうがなくて、この先の南相馬市の医療がどうなっていくのかを考えておかないと非常にまずいと思います。そこは、若い人たちが戻るなり、今いる若い人たちを教育していって若い人たちが外の地域に流れないような施策が必要だと思います」

南北格差

 福島県は阿武隈高地の東側を「浜通り」といい、医療提供体制の整備も双葉郡も含めた南北に長い地域「相双医療圏」として施策が考えられてきた。ただ、その真ん中にある福島第一原子力発電所の事故で、地域は分断された。医療の南北格差も大きくなってしまった。南相馬市内の医療機関が、国の規制解除が進む双葉郡の住民の医療過疎をカバーできないのか、聞いてみた。

 「カバーできないということはないんですが、福島第一原発の地域を越えて行ったり来たりするのが難しい。国道6号線も常磐道も通りますが、(相双医療圏のうち4月に国の居住制限が解除される)富岡町より南の地域は、(実質的に)いわき医療圏に入ってしまっていて、浪江町から北の南相馬市や相馬市はどちらかというと(福島市などの)北福島医療圏に入ってしまうと思うんですよね」

在宅医療推進に限界

 津波や事故、長期間に及び避難による人口移動、インフラ整備が、この地域の医療を変えてしまっている。2011年夏、菊地さんは取材に対し、「地域の人口は半分になり、南相馬市は超高齢化の街になった。医療のかたちも変わらないといけない」と話していた(「人口半減、変わる病院 減る医師・病床、訪問看護始める」http://www.asahi.com/articles/SDI201703050526.html)。2015年の「被災地からのメッセージ」シリーズでは、「在宅介護、南相馬では無理なのか」(http://www.asahi.com/articles/SDI201511049294.html)というインタビューと寄稿文を寄せてくれた。「訪問看護に取り組んだが、看護師不足もあり、在宅医療は難しい」と話していた。市外に避難していた人たちの多くは戻ってきたが、一気に進んだ高齢化は変わらない。今も在宅医療や介護は難しい状況なのか。

 「病院としての訪問看護は、以前のように手広くできればよかったのですが、とにかく看護師がいないので、事実上、訪問看護センターは閉鎖という形になっているんですね。大変申し訳ないけど、具合が悪くなったときに在宅を強く希望する人もいるんですよね。当然、終末期でもそうだし。ただ、病院からすると頻回にお宅をお訪ねしてみとるのは、なかなか数的に難しいんですね」

 2015年の寄稿文には、南相馬で医療を続ける現状について、「本来、家族の長生きと家族の幸福は等価であってしかるべきで、家族犠牲の上に成り立つのでは意味がない。在宅介護は、この地では無理なのではないか。これは南相馬市だけの問題ではない。近い将来、日本が必ず迎える状況なのだが」と書いていた。あれから2年、南相馬から見えてくる医療の課題は今も変わらないのか。

 「健康寿命が途絶えてから平均寿命まで10年ぐらいあるんですよ。その間、何らかの病気になり、病院に通ったり、家族の介護を受けたりしながら生活しなくちゃいけない。そういう時代になっていますので、介護する人たちはすごく熱心にやるんだけど、その人たちの人生や生活はかなり犠牲になりますね。その犠牲を生きがいに感じる人も中にはいますが、すごく負担に感じて、自己犠牲を感じる方もいらっしゃる。実際、そういう風になるんですよね。だから、みんな『在宅』『在宅』と言っても、必ずしも在宅が良いわけではないと思いますね」

 そんな中で、南相馬から見えてくる日本の医療・介護の突破口はあるのだろうか。菊地さんは「逆行しているようなことを(私は)言っていますよね」と言いながら、いくつかポイントを挙げてくれた。

 「在宅の患者を診るドクターが(その地域に)どれぐらいいるかということですね。都会は、在宅専門にして診てくれるドクターがいますが、地方、特に南相馬では診療所のドクターも一緒に高齢化されているので、在宅を積極的にされるドクターはいないと思います。なんで日本が在宅をメインの目標にして進んでいくのか、医療財政(の問題)一辺倒でそっちに進むということですよね。大切なことなんですけど、例えば、ある年齢になって動けなくなったら在宅ではなく、施設介護という国はたくさんありますよね。特に介護の進んだ国では、そちらの方が多いのではないでしょうか。グループホームのような・・・」

 「心のケアの対象は仮設住宅に住んでいる老人が中心だったわけですけど、これからは一般の人たちですよね。ご主人を介護している奥さんや奥さんを介護しているご主人の心のケア、介護をする家族の心のケアが必要になってくるんですね」

 岩手医科大学を卒業し、国立病院機構仙台医療センターで長く外科医を勤めた。震災後、被災地の医療機関を離れる医師も少なくない。菊地さんが、南相馬で医療を続けるモチベーションはどこから来ているのか、尋ねた。

 「一つは震災を経験したこと。あとは1人でも欠けると影響がすごく大きいんですね。もともと医師数が少ないし。うちの病院だと医師が1人欠けると診療科を一つ閉鎖するということになる。やめるにやめられないということもあります」

 ただ、それだけではない。

 「この地域好きですし、私が医療をする上で育ててもらった地域ですからね。第二の故郷だし。ここを中心に医療活動しないといけないですよね」と語っていた。

 

■■菊地安徳さんからのメッセージ■■■

 「電車に間違って乗っちゃった」

 娘からの突然のメールに、妻と2人であぜんとした。友人3人と帰りの電車に乗ったはずが反対方向に電車が走り出して、友人と慌てた様子が見えるようだ。

 震災後、JR常磐線は、しばらく相馬市の相馬駅と南相馬市の原ノ町駅間の折り返し運転だけだった。それ故どちらの駅で電車に乗っても向かう方向は一方向。彼女たちにとっては長い間の常識だった。震災当時小学生だった子供たちは親が気づかない間に、友人と自由に電車で遊びに出かける年ごろに成長し、6年という時間の長さを改めて実感した。一方で南相馬で身についた子供たちの常識が、世間の非常識になってはいないかと心配にもなった。

 常磐線は津波で被害を受けた区間の線路の改修が終わり、昨年12月、仙台市まで開通した。鉄道は地域社会にとって生きるための血管のようなもの。人も文化も物資も、時には流感などももたらす地域の重要なインフラだ。これまで6年もの間、南相馬はバスなどに頼って命をつないできたのだ。12月の常磐線開通は下り線方向だけではあるけれど、少しずつ体に血液が満ちてくるような、将来につながる待ちに待った喜びがあった。

 昨年はもう一つ地域のうれしいニュースがあった。南相馬市の居住制限地域であった小高区が一部を除いて制限が解除された。6年の歳月は容易に回復できないほど地域を衰退させたが、これまで高齢者を中心に約1200人の住民が帰還している。

 地域の喫緊の復興にはインフラや住居の修復など住民が安心して帰郷できる環境整備が必要だが、将来にわたり継続して地域を存続させるために最も大切なのは次代を担う若者世代、親と子供たちが故郷を誇りに定住することであろう。そのためには地域の産業育成と、次代を引き継ぐ子供たちの教育環境の整備が最も重要な課題と考える。小高区では4月から小中学校も授業を再開する。小学校中学校ともに50~60人の児童生徒が通学の予定であると聞いた。小高工業高校と小高商業高校は合併して小高産業技術高校として再スタートする。これまで仮設校舎で学んでいた子供たちが地元に戻ることで将来に向けた地域復興の加速が期待される。

 

 震災後、復興の視点はインフラの整備・構築など目の前のハード分野の再建に注がれてきた。しかし被災地では住民の流出が止まらず、人手不足は慢性化している。私たち医療の分野でも人手不足は深刻で、南相馬市の入院病床は今も震災前の半数にしか満たない。将来の地域存続のためには、住民の流出を食い止め、新たな住民を呼び込む地域産業の育成と、世代を超えて住民が安心して子育てできる教育環境整備など、長期の視点に立った地域再生の施策がどうしても必要である。

 福島・国際研究産業都市(イノベーション・コースト)構想をご存じだろうか。震災、原発事故によって失われた浜通りの産業・雇用を回復するための施策だ。

 1)廃炉やロボット技術に関連する研究 開発

 2)エネルギー関連産業の集積

 3)先端技術を活用した農林水産業の再生

 4)未来を担う人材の育成強化

 これらは、福島県沿岸部の浜通り再生の取り組みである。

 この施策により災害対応ロボットのテストフィールドが南相馬に整備されつつある。近年急速に進歩したドローン技術を無人物資輸送や災害救助に応用するのもそのうちの一つ。最近のドローンは大型化と急速な技術進歩で物流システムの有望な運送手段であったり、インフラ点検への利用であったりと用途は限りない。最近の実証実験では完全自律ドローンで海上に漂うサーファーに温かい飲み物を届けることも可能になった。

 ドローンの操縦技術向上の取り組みも行われている。ドローンレースを開催して将来のドローン操縦者を養成するのだ。将来の操縦技師を目指して多くの子供たちも参加している。ドローンをはじめロボット技術関連の産業育成と技術者の養成につながればと願っている。

 エネルギー関連では再生可能エネルギーの推進が原発被災県である福島県で進められており2040年までには福島県全県のエネルギー需要を100%再生可能エネルギーで生み出すことを目指している。南相馬でもメガソーラー施設が完成し、この施設単独で1万世帯の電気需要を賄える発電量を達成した。今後さらにメガソーラー施設が建設されるのであれば送電網の設備新設など有望な地域産業となるのではと期待している。

 先に紹介した小高産業技術高校は廃炉や災害救助に向けたこれらのロボット技術、再生可能エネルギー推進事業などを担う技術者や研究者の養成を担うこととなる。同校は地域の次代を引き継ぐ重要な教育施設になるだろう。

 

 震災から6年、子供たちは驚くほどに成長し、そして成長した子供たちは地域再生、地域創造の切り札となりつつある。私たちの役割は、目の前の街の復旧ではない。次世代の若者たちが安心してこの地で生活できる地域産業と教育環境をともに整えることだ。将来の地域存続は子供たちに委ねられているのだから。

 市内の小中学校では、震災前の約7割の子供たちが勉学に励んでいる。この子供たちが将来の南相馬をより魅力的な街にしてくれることを願っている。

 

<アピタル:東日本大震災・被災地からのメッセージ>

http://www.asahi.com/apital/special/shinsai/(岩崎賢一)

岩崎賢一

岩崎賢一(いわさき・けんいち) 朝日新聞記者

1990年朝日新聞社入社。くらし編集部、政治部、社会部、生活部、医療グループ、科学医療部などで、医療を中心に様々なテーマを生活者の視点から取材。テレビ局ディレクター、アピタル編集、連載「患者を生きる」担当を経て、現在はオピニオン編集部。『プロメテウスの罠~病院、奮戦す』、『地域医療ビジョン/地域医療計画ガイドライン』(分担執筆)