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 30年前、朝日新聞記者2人が銃撃されたとの通報を受け、現場に走った兵庫県警の捜査員。いまも抱く思いとは――。

 兵庫県警捜査1課の課長補佐だった山下征士さん(78)は、電話を受け、自宅から現場に急いだ。取材の最前線が散弾銃で襲われた事件に重大性を感じた。

 「生活に必要な情報を得るため、多くの人が新聞をよりどころにしている。真相を解明し、不安を取り除くには逮捕しなければ」

 現場周辺で不審者を見なかったか、入念な聞き込み捜査を指揮した。支局そばの阪神電車の踏切を通った車を秒単位で洗い出した。夜間、電話で寄せられる情報を逃がすまいと、捜査本部に泊まり込んだ。

 犯行声明文で、犯人は、明治維新期に実在した「赤報隊」を名乗った。山下さんらは、近現代の歴史書や政治関係の文献、右翼団体の定期刊行物などを片っ端から読み込んだ。

 何らかの組織による計画性を感じた。自分たちが思い込む方向に政治や世の中を動かしたいのか――。そんな印象を持ったという。

 だが、なぜ、阪神支局が狙われたのか。後に捜査1課長としても捜査に関わったが、「捕まえん限りは推測。捕まえたかった」。

 1課係長だった一色知三郎さん(85)は、タクシーで現場に向かった。動機を探る捜査では小尻記者の取材先から話を聞いた。

 「非常に真面目で誠実な記者。恨みを買うようなことは一つも出んかった」

 発生から4年後に退職しても、事件のことを忘れたことはない。西宮市にある再就職先での勤務を終えてから、犯行時間帯に現場を回った。捜査に協力した周辺住民との接触も続けた。

 県警は延べ62万人の捜査員を動員した。しかし、2002年5月、阪神支局襲撃事件は時効になった。

 一色さんは約35年、刑事として凶悪事件を追い続け、最後の阪神支局襲撃だけが未解決で残った。「小尻さんの家族に解決を伝えたかった」。毎年5月3日が近づくと無念さがこみ上げてくる。(中村尚徳)

朝日新聞阪神支局襲撃など一連の警察庁指定116号事件(関連・類似事件を含む)

〈1987年1月24日〉 朝日新聞東京本社の2階窓ガラスなどに散弾2発が撃ち込まれる(10月1日に弾痕などを発見)

      〈5月3日〉 阪神支局襲撃。記者2人が死傷

     〈9月24日〉 名古屋本社新出来寮に目出し帽の男が侵入。寮の居間兼食堂のテレビと隣接マンションの外壁に散弾銃を発射

〈1988年3月11日〉 静岡支局1階駐車場に時限式のピース缶爆弾が仕掛けられる(翌12日朝に発見)。この日の消印で当時の竹下登首相と中曽根康弘・前首相に「赤報隊」を名乗る脅迫状が静岡市内から送られる

     〈8月10日〉 東京都港区の江副浩正・元リクルート会長宅に散弾1発が撃ち込まれる。「赤い朝日に何回も広告をだして 金をわたした」と犯行声明

〈1990年5月17日〉 名古屋市中村区の愛知韓国人会館出入り口付近が放火される。「反日韓国を 中京方面で処罰した」と犯行声明

〈2003年3月11日〉 静岡支局爆破未遂事件の公訴時効が成立。一連の朝日新聞襲撃事件すべてが時効に