『震災6年 古屋聡さんからのメッセージ(宮城県気仙沼市本吉地区)』
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被災地からのメッセージ2017(6)

 東日本大震災と熊本地震、この両方の被災地での医療活動をした医師がいる。自治医大出身で、山梨県にある山梨市立牧丘病院の古屋聡院長(54)だ。プライマリーケアが専門の古屋さんは、歯科医師ら専門職の人たちとチームを組み、避難者の巡回のほか、口の中の衛生や摂食嚥下(えんげ)障害の患者への口から食べるためのケアなどの向上を目指して、気仙沼市内の医療や介護の従事者のスキルアップをしてきた。古屋さんは今も、気仙沼市立本吉病院に月1回、診療に赴いている。古屋さんに、二つの被災地での医療活動を経験して何が見えてきたのかを聞いてきた。

食べる研究会でケアのレベルアップ

 2011年3月から定期的に気仙沼市を訪れ、今も仮設住宅から災害公営住宅に移り住んだ人たちとの交流が続く。また、地元の人たちと「気仙沼・南三陸『食べる』取り組み研究会」をつくり、在宅、介護施設を問わず、口から食べることが難しい摂食嚥下障害の高齢者のケアの向上に力を入れている。

 震災から6年。気仙沼の高齢者医療は変わったのか。こう尋ねると、古屋さんは、気仙沼市内の地域差を挙げた。

 「(南北に長い気仙沼市の中でも南部の)本吉地区に震災後、(支援の)医療者などによって新しい息吹が吹き込まれました。(市の中心部にある)市街地から北の地域では、震災前からあった医療機関の再建は進みましたが、新しい医療者はあまり入らなかったので、(復興が進むにつれ)元々医師不足だった震災前の雰囲気に戻っている感じです」

 「ダウンサイジングになっていますね。もちろん、気仙沼市立病院が建て替えになり、回復期リハビリ病棟ができるなど良いこともありますが・・・」

 東日本大震災では、多くの医療者が震災直後に短期的な支援に入った。古屋さんたちは、避難所から仮設住宅に生活の場が移り、震災直後に比べて暮らしが安定してからも、健康リスクが高い高齢者などに、地元の歯科医師らと一緒に目を向けてきた。「気仙沼・南三陸『食べる』取り組み研究会」ができたように、地元の専門職の人たちのスキルアップを目指したからだ。

 「気仙沼が、摂食嚥下障害の人のケアや食支援で知られている他の地域に比べて特徴的な点は、病院医療・施設介護・在宅介護のどの場面にかかわる人たちにも盛り上がりがあることです。どこの施設でも高いレベルのケアを目指そうとしているので、僕は気仙沼が全国一だと思います」

 しかし、気仙沼の医療や介護の環境が全国一とは言えないという。

 「摂食嚥下障害に限らず、在宅にいる様々な病気を持つ患者さん、あるいは復興住宅(災害公営住宅)に移られた人たち全体を考えると、ちょっと違う感覚があります」

 この違う感覚とは何か。昨年4月に発生した熊本地震で得た経験を挙げた。

 「僕は熊本地震のとき、早い段階から益城町に入り、食支援チームの立ち上げの手伝いをしました。半年後に仮設住宅が出来て避難した方々は移っていったんですね。益城町に出来た最大の仮設住宅団地は、テクノ団地にあって、500戸ぐらいあります。避難者の健康を見守る『地域支え合いセンター』が作られ、平日は看護師が常駐しています。看護師が健康相談を受け付けたり、訪問したりする仕組みができました。気仙沼では、仮設住宅にいた高齢者や独居の人たちが、復興住宅に移っていく時期を迎えています。ところが、復興住宅にはさらに高齢化率の高いコミュニティーが生まれてしまった。仮設住宅のときから保健や医療の介入は少なかったと思いますが、6年経ってもそこに力を注ぐ余力が気仙沼にはないんですよ。そこで見えてくるのは、新たな危機です。健康の危機、孤独の危機、メンタルヘルスの問題、アルコールの問題、自殺の問題につながります。将来のことを考えると、益城町の方が良い体制だと思いました」

災害公営住宅の高齢者への支援充実が急務

 気仙沼市によると、災害公営住宅2087戸のうち、2月末現在、1698戸が完成しており、今年5月までにすべて完成する見込みだ。1月末で1428戸の入居があり、入居者に占める高齢者の割合は42%だという。高齢単身世帯も14%ある。このような状況に対応するため、市内3カ所に「高齢者相談室」を設け、委託したライフサポートアドバイザー25人が適宜、見守りが必要な高齢者を訪問しているという。

 今置かれた環境が、さらに健康に影響していく可能性があるということか。

 「元々医療者が少なかった東北です。仮設住宅を経て復興住宅に移り住んだ状況は、東京の(多摩地区の)ベッドタウンが一気に高齢化して、高層住宅団地に高齢者が暮らす状況が、突然、東北の被災地に出現した感じですね。健康への不安を抱える人が急な角度で増えていこうとしているのに、今のところかかわっていく余裕がないという感じに見えます。東京の方は、その危機感がたっぷりありますが、手が回らないムードがありますよね」

二つの被災地経験で相対化

 震災から5年後に起きた熊本地震の被災地を経験して見えてきたことがあるという。

 「熊本地震を経たら東日本大震災の経験が相対化されました。震災のときに困って、次の大規模災害のときの課題だと思っていたことが、熊本地震のときに克服されたかと言えば、実は大してされていませんでした。避難所に入ったときから慢性期疾患の問題のために多くの医療職が支援に入ったり、生活不活発病予防や口腔(こうこう)ケアなどへの意識は高くなったりしました。しかし、一番最初に大事な避難所フロアでの生活を支えるみたいなところは決して進化していなかった。東日本大震災があって、熊本地震があって、次の大規模災害のときに出来るようになるかというと、それは怪しいと思います」

 

■■古屋聡さんからのメッセージ■■■

 2016年の4月の熊本地震、9月の台風10号による水害は、6年前になる東日本大震災の記憶をよくも悪くも相対化しました。

 「やはり災害はどこにでもどんな形でも起こりうる」ということと、「結局のところ災害は、それが起こった地域で最後まで引き受けるしかない」というふうに考えてみれば、ごく当たり前のことがわかった形です。

 熊本県益城町のテクノ仮設団地には、私が東日本大震災以来かかわっている宮城県気仙沼市で実現できなかった、看護師が日中常駐し健康の相談ができる「地域支え合いセンター」も開設されました。長期にわたることが予想される仮設住宅での暮らしを、心身ともに支えるこのセンターの設置は、ある意味、東日本大震災で得た経験を生かしたものとしてたいへん評価できることです。しかし、ここ数年、仮設住宅から復興住宅に住まいが移ろうとしている東北の被災地では、医療系スタッフによる相談や訪問が、それほど身近でないところはいまだ数多くあります。

 岩手県岩泉町では大きな被害にも関わらず、岩手県内からの支援でなんとかがんばれたため、かえって全国的にはその被害の全容が知られませんでした。現在の仮設住宅での暮らしの様子など、全く報道に接しません。福島県の太平洋沿岸部の相双地域では、救急搬送に要する時間が著しく長く、生活のインフラとしての医療に黄信号がともっています。

 ヨーロッパにおける移民拒否の動き、イギリスのEC離脱、トランプ現象と世界の中で「人は人、自分は自分」の風潮が強まるなか、日本でも、なんらかの災害にあった被災地に、また被災された人たちに、関心を持てなくなっているような「心の余裕のなさ」を感じます。

 未曽有の人的災害である原子力災害は誰も責任をとることなく、一方で被災者個人に対しては「もう潮時だよね」といった扱いに見えることが多々あります。

 日本では、高齢者人口の急増に伴い、住み慣れた地域で医療や介護を受ける「地域包括ケア」が国によって推進されています。全国の先進地では成果も出始めています。「自らのところ」は「自らのところ」というように、プラスからのスタートだろうが、マイナスからのスタートだろうが、それぞれの地域にはそれぞれの「地域包括ケア」を作っていくことが必要とされます。

 東日本大震災から6年を経て、三陸の海岸沿いを車で走ってみて下さい。岩手県陸前高田市が、宮城県気仙沼市が、南三陸町が、女川町が、石巻市が(すみません、僕が訪問しているのが宮城が多いので場所が偏っています)どのように変わったのか、福島の相双地域がなかなか変わらないのかをその目でご覧下さい。「自分の住む街がフクシマじゃなくてよかった」と心のどこかで思っていませんか。僕たちの快適な生活は、どこかや誰かを搾取した結果であることを忘れないでいたいと思います。

 

<アピタル:東日本大震災・被災地からのメッセージ>

http://www.asahi.com/apital/special/shinsai/(岩崎賢一)

岩崎賢一

岩崎賢一(いわさき・けんいち) 朝日新聞記者

1990年朝日新聞社入社。くらし編集部、政治部、社会部、生活部、医療グループ、科学医療部などで、医療を中心に様々なテーマを生活者の視点から取材。テレビ局ディレクター、アピタル編集、連載「患者を生きる」担当を経て、現在はオピニオン編集部。『プロメテウスの罠~病院、奮戦す』、『地域医療ビジョン/地域医療計画ガイドライン』(分担執筆)