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 ボウイと共に生きてきた。そう思っている。1969年のアルバムアルバム『スペイス・オディティ』から聞いていた。ボウイがまだフォークの尻尾を引きずっていた頃からのファンだ。その後、最初『屈折する星屑(ほしくず)の上昇と下降、そして火星から来た蜘蛛(くも)の群』という珍妙なタイトルで出た『ジギー・スターダスト』(72年)で決定的にやられて、その後の彼の目もくらむようなメタモルフォーゼに律義に付き合ってきた。

 73年の初来日以来、コンサートは毎回見てきた。83年の来日時には記者会見があると聞き、彼の曲「1984」に関して質問をしたいと思った。ボウイが74年に発表したアルバム『ダイアモンドの犬』は巨大権力「ビッグ・ブラザー」に支配される未来社会を描く作品だったが、「1984」はその収録曲で、イギリスの小説家ジョージ・オーウェルの同名作品にヒントを得たものであることが明らかだったからだ。その仮想の年がやって来るのを前に、ボウイが現在(83年)の世界をどう見ているのかを聞きたかった。だが、当時会社には別に正式の音楽担当記者がいたため、遠慮せざるを得なかった。

 85年に音楽担当になって、90年の来日時にはついに単独インタビューの機会がやってきた。当時ボウイは43歳。デビューから23年のキャリアを積み重ねていた。自身のバンド「ティン・マシーン」を結成したばかりで、「今後はバンドでの活動に専念する」との触れ込みだった。

 写真はフィルムカメラ、録音はカセットテープの時代だ。CDはとっくに発売されていたが、私はインタビュー場所のホテルの部屋に学生時代から聞き込んだボウイのLPを何枚も持参した。角がこすれていたり、ジャケットに盤面の丸みが浮き出していたりする、昔から愛聴していたことがありありとわかるLPレコードだ。

 それを見たボウイは、私がにわか仕込みのファンではないことがわかったのだろう。インタビューは終始にこやかで雄弁。ジョークも飛ばして、当初の予定時間を大幅に超えた。

 今も忘れられない一瞬がある。私がすり切れた『ジギー・スターダスト』のLPを手に、「このアルバムが私の人生を変えたんです」と言うと、ボウイはすかさず「Mine,too」。「私の人生もさ」と答えた。ボウイのウィットに満ちた笑顔が今も目に浮かぶ。

 ちなみに、ボウイはこの時「今後はティン・マシーンの活動に専念する。これまでのヒット曲をステージで歌うのは今回のワールドツアーを最後にする」と語ったが、ティン・マシーンは意外に短命に終わり、96年に6年ぶりに行ったソロでの来日公演では「アラジン・セイン」「世界を売った男」「ダイアモンドの犬」「ヒーローズ」といった過去のヒット曲を披露した。

 前言と矛盾するではないかと非難するつもりはない。古い自分を次々に脱ぎ捨てて、変幻自在な姿でファンを幻惑するのがボウイだったからだ。

     ◇

 90年5月14日付の朝日新聞夕刊に掲載したインタビュー記事はこうだ。

「過去の栄光に踊らされたくない 来日のデビッド・ボウイに聞く」

 英国出身のロック歌手、デビッド・ボウイ(43)が来日した。15、16の両日、東京・後楽園の東京ドームで開かれるコンサートは、過去のヒット曲ばかりで構成され、23年に及ぶキャリアの総集編になる。公演前のボウイに話を聞いた。

 「今回の世界ツアー以降、昔のヒット曲は歌わない」と宣言しているボウイは、その理由を「ミュージシャン活動を続けていく上で、退屈は最大の敵。歌いたくない曲は歌いたくない。今やっていることによって評価されたい。過去の栄光に踊らされたくない。昔のヒット曲をプレッシャーに感じるようになる前に、自分を自由にしてやりたいんだ」と説明する。

 「これが最後」という今回のヒット曲オンパレードの中心になる歌は「ロックンロールの自殺者」だ。70年代で最も重要なロック作品とされるアルバム「ジギー・スターダスト」に収められ、ボウイ自身も「最も重要な曲」と認める。

 「この歌のメッセージは『君は…

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