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 平昌冬季五輪開幕まで15日であと300日となった。昨季スピードスケート女子500メートルで無敵の強さを誇った小平奈緒(相沢病院)が、つかの間のオフを終えて、3度目の大舞台に向けて歩み始めた。見据えるのは、スピードスケート日本女子初の金メダルだ。

 3度目の五輪に向け、4月に入って地元長野で本格始動した。昨シーズン終了後、2日ほど実家で休養しただけで、スタートは例年よりも2週間ほど早い。5月で31歳になる小平は「この年齢になると急に体を動かすとびっくりする。完全に筋活動を停止する必要もないと思って」。

 昨季、日本女子初の世界スプリント選手権総合優勝を始め、ワールドカップ(W杯)500メートルでは8戦全勝と圧倒的な強さを見せた。ただ、周囲の盛り上がりとは対照的に本人は冷静だった。この連勝街道をどう見つめていたのか。

 2月末の同選手権で総合優勝を果たした翌日、カナダ・カルガリー国際空港のカフェで聞いた。小平は答えた。「昨春は体を作り直すことから始めたので、この成績は予想していなかった。ただ、ここまでの取り組みには自信があった。だからどんな結果でも、普通でいられたのかなと」

国内5番からのスタート

 ソチ五輪でメダルなしに終わり、2014~15年シーズンから2年間、スケート大国オランダに渡った。2年目は卵や乳製品などの遅延性アレルギーなどに苦しみ、15年12月の全日本スプリント選手権は総合5位。体力面も落ちていたといい、結城匡啓(まさひろ)コーチは「マイナスからだった」と振り返る。世界トップへの道のりは、国内5番手からのスタートだった。

 体力を取り戻すことから始めた。昨季から拠点を日本に移し、食事面のストレスが消えた。強度の高い練習ができるようになり、自転車などの「陸トレ」で体を絞りあげた。バンクーバー五輪時は17%前後だった体脂肪率は10%台前半に。

 積極的に太陽の光も浴びた。オランダでは他の選手からよく屋外でお茶をしようと誘われた。理由は「太陽の光を浴びると筋肉のバネの強さに好影響があるから」。すぐに日本にいた結城匡啓(まさひろ)コーチに伝え調べてもらうと、日光浴などで体内で合成されたビタミンDは特に短距離選手に重要な筋肉の伸縮を高める効果があることが海外文献でわかったという。結果として、瞬発力がものをいう100メートルは同じ長野・エムウェーブで開催された15、16年大会を比べて、10秒645から10秒45と0秒195速くなった。日焼け止めは効果が低い低数値のものに変えた。体のシミは増えた。それでも「女性の美しさよりパフォーマンスの方が大事」と小平は笑い飛ばす。

 フォームも改善。長野、トリノ五輪女子1000メートル「金」のマリアンヌ・ティメルコーチの指導を受け、下がっていた頭を上げるよう指摘された。その時に言われたのが「怒った猫になれ」。相手を威嚇する際の背中を丸めて上体を起こす様は、自らの修正点を具体的にイメージすることができた。「頭の先から足まで無駄なく線が通り、しなやかに滑れるようになった」。スタートで得た爆発的なスピードを中盤以降も長く持続できるようになったのは効率のいい滑りを身につけたからだ。オランダ語で「BOZE KAT(怒った猫)」のニックネームはお気に入りだ。

W杯第5戦、成果を確信

 昨季序盤、500メートル37秒台後半だったタイムは、低地で37秒台前半、高地では36秒台まで伸びた。成果を確信したのは17年1月のW杯第5戦。「37秒7ぐらいでドアをとんとんたたいていたのが、そこで(37秒4の)タイムが出てやっと開き始めた。ブレードも変えてすべてがかみ合った。来季は『こんな記録を出せるの』というところまで意識を持っていきたい」

 平昌五輪の目標を聞かれても、具体的なメダルの色は口にしない。それでも「平昌五輪ではいい景色、スピードを感じられそう」と頂点への手応えは感じている。今春、所属する長野・相沢病院で開かれた報告会で、病院職員や患者ら約200人を前に誓った。「五輪の舞台で輝けるよう頑張りたい」。自らの滑りにさらなる磨きをかけ「スケートを究極に楽しみたい」。そんな思いが30歳を突き動かしている。(榊原一生)

 こだいら・なお 長野県出身。信州大を卒業し、相沢病院所属。冬季五輪には2010年バンクーバー大会に初出場し、団体追い抜きで「銀」。14年ソチ大会は500メートルで5位に入った。17年の世界距離別選手権500メートル、世界スプリント選手権はいずれも日本女子で初制覇した。165センチ。30歳。