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田栗静行さん(1939年生まれ)

 純白の着物をまとった、かれんではかなげな幼い子どもの博多人形。東京都八王子市の田栗静行(たぐりしずゆき)さん(77)は被爆体験を語るとき、この人形を一緒に連れて行く。「第一印象で、少し似ているかなって。こういうおべべを着せたかった」。1945年8月13日に3歳で亡くなった妹・美佐子(みさこ)さんだと思って、大切にしている。

 5歳の時に原爆にあった。長崎市橋口町で家族4人で暮らしていたが、原爆の数日前に美佐子さんが入院し、小菅町の祖父母宅に預けられた。原爆後、父は見つからなかった。

 「5歳の前の平凡な記憶はないですよ。でも原爆後のことは、しっかり覚えている。つらかったからね……」。自宅は跡形もなくなり、美佐子さんの写真も残ってはいない。唯一しっかり覚えているのは、原爆翌日からのぐったりとした顔だ。「ふびんだけど、亡くなってよかったと思うようにしています」。戦後、母と2人で歩んだ人生を振り返ると、そう考えてしまう。

 浦上天主堂のそばにある幼稚園でよく遊び、帰り道に警戒警報が鳴り出して、美佐子さんの手をひいて無我夢中で走って家に帰ったことをおぼろげに覚えている。

 子どもが歩いても10分かからないところには、現在は平和公園になった長崎刑務所浦上刑務支所があった。家族らから「行っちゃいかんよ」と言われていたが、近づいたことがある。原っぱにそびえ立つ、高さ約4メートルの塀は子ども心に10メートルもあるように見えた。それが「まさか、あんなことになるとは……」。

 小菅町の祖父母の家は路面電車…

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