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ロータリーエンジンの半世紀 不死鳥編(2)

 東洋工業にとって大きな転換点となった1970年。「暗」が社長の松田恒次の死去だとしたら、「明」はその松田が夢見た、自動車大国アメリカへの輸出開始だった。

 この背景には、60年代の高度経済成長がある。日本の実質GDP成長率は平均で10%超、GDPの数字を見ると、2・6倍に。だがその急激な変化の中で、歪(ゆが)みが首をもたげてきた。

 公害である。

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 自動車を見ると、70年の国内の生産台数は528万台で60年の10倍以上に伸びた。かつて通商産業省(現経済産業省)から「未熟産業」呼ばわりされたのは過去のこと。自由化により欧米メーカーに駆逐されることを恐れた時代から、欧米をターゲットとする時代へと移り変わっていった。

 ただそれに伴い、問題視されたのが排ガスだ。ロサンゼルスを中心に大気汚染が問題視されたアメリカでも、60年代後半に規制が強化されていく。対米輸出を目指す東洋工業にとって、避けて通れない難題だった。

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 ロータリーエンジン(RE)に課せられたのは、排ガスに含まれる有害な炭化水素(HC)の排出量を数十分の一のレベルに抑えること。RE研究部設計課の達富康夫(79)を中心にして、対策が練られた。

 「寝ても覚めても」。部長の山…

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