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【2015年3月3日夕刊5面】

 ――生まれは沖縄本島から西へ約100キロの久米島です。

 土地が肥えていて自給自足できる島でしたが、おやじは末っ子。財産は少なく、私が生まれてすぐ、ブラジルへ出稼ぎに行きました。でも旅費は借金だし、仕送りも届かなかった。おふくろは働きづめで、借金の利子を払いながら、末の私を含めた4人の子を育てました。

 収入源の一つは豆腐づくりでした。沖縄の硬い豆腐は塩でつくります。私も小学生のころ、朝4時に海で塩水をくむのを手伝いました。小学校を卒業した後は、学費がなかったので母校の用務員になりました。おふくろも同じ学校で給食を調理していました。

 ある日、先生の弁当に卵焼きが入っているのを目にしました。我が家でも鶏を飼っていましたが、卵は売り物なので口に出来ません。「いつか卵焼きを食べさせるから」。おふくろのひと言が忘れられません。

 用務員として働き始めて1年後、「君は本来、進学できたはずだ」と目を留めてくれた校長先生の推薦で、東京にある理工系の工学院に入ることになりました。学費も免除されることになっていました。

 ――しかし、進学したのは沖縄師範学校でした。

 東京に向かうため、本島の首里…

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