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 いまは「核兵器」という呼び方になっている恐ろしい爆弾、まだ、戦後まもない、わたしが子どものころは、「原爆」「水爆」という言い方をしていた。広島、長崎に落とされた「原爆」の恐怖は、1952年の映画「原爆の子」を見て、子どもながら他人ごとではないと思っていた。そして「水爆って、原爆の1千倍も怖いんだって」。そんな話を子ども同士で交わしたりしていた。

 6月4日の日曜日、東京都江東区の夢の島公園にある「夢の島マリーナ」で、「忘れまい! ビキニ被曝(ひばく)63年、そしてフクシマ」という集会があると聞いて、でかけてみた。なつかしいなどと言ったら不謹慎だが、1954年3月1日、アメリカが太平洋ビキニ環礁で「水爆」実験をして、近くで操業していた日本の漁船「第五福竜丸」が「死の灰」を浴びて母港焼津に帰ってきた、それが「ビキニ被曝」である。なんだか、とても怖かったな、あれから63年経つのか。

 集会会場のすぐ外は船着き場である。空が青い。「第5福竜丸」の船員だった大石又七さん(83)が最前列に車いすで座っておられる。大石さんは、ビキニ被曝のとき、まだ20歳の冷凍士、アメリカの水爆実験の爆発する光を洋上にみた。往時の乗組員23人は「死の灰」を浴びたせいだろう、若くしてがんになって亡くなった人も多く、大石さんは貴重な生き証人である。集会の参加者は年配の人が多く、100人ぐらいだろうか。隣りあわせたおじいさんが「いまの人はビキニ事件って、知りませんから」と小さい声で語る。そうだろうなあ、ビキニといえば、例の女性の水着のことだろうなあ。

 集会は、「あの日を忘れない!…

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