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 今年も憧れの甲子園を目指し、球児たちが白球を追う夏がやってきた。第99回全国高校野球選手権岐阜大会は8日に開幕する。岐阜市出身で関市立関商工高校を卒業したタレント、熊田曜子さん(35)に、自身の青春時代を振り返りながら、球児たちに応援メッセージを贈ってもらった。

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 三つ上の兄の影響で、小さい頃からとにかく体を動かすのが大好きでした。特にチームワークで出来る球技が好きで、中学ではソフトボールをやっていました。ポジションは一塁。理由は投手の次に出番が多いから。あんまり勝った記憶はないのですが、すごく楽しかったです。内野ゴロをバッとキャッチできた時とか、打者を3人で抑えられた時とか。練習では、先生がノックしてくれる球を捕るのが好きでした。際どいところに打ってくれるので。

 高校ではソフトテニス部に変わりました。家から学校まで自転車で往復20キロ。山を一つ越えて通っていました。よく「自転車部でしょ」なんて言われていました。朝練も放課後の練習もあって、ものすごい運動量でしたね。関商工はスポーツが盛んで、高校と言えば部活の思い出ばかり。今でも部活の仲間とは仲良しで、頻繁に連絡を取り合っています。

 野球部とはよく雨の日の室内練習で一緒になりました。廊下の階段を1階から4階まで、ぐるぐる回るのですが、私が走っている横をどんどん抜いていって。私たちが帰る時も、まだ練習していました。声の出し方もとても大きくて。そういう姿を見て、頑張っているなと思っていました。

 高校時代に一緒に頑張った仲間は一生の友達だなって思います。社会人になってからできる友達とはちょっと違う。私は芸能界デビューが19歳で、少し遅かったのですが、その分、普通に高校に通って友達ができた。そんな青春時代を過ごせて良かったなって思います。

 私のお母さんは、1人で兄と私を育ててくれました。正社員として働いていて、大変だったと思うのですが、部活は自由にやらせてくれました。仕事帰りに試合の会場まで迎えに来てくれたり、応援に来てくれたり。当時は、親が見に来るのって照れ臭くて、「別に来なくていい」って言っていたんです。でも、今思うと、休みたいはずの貴重な休日を子どものために使ってくれていたんだなと感じます。

 試合が終わってしまって、泣いている子の涙を見ると感動します。きっと、いろいろな思いがあふれているんだろうな。練習の送り迎えをしてくれた家族や、応援してくれた人たちがいるおかげで試合に出られた。でも、結果が残せなかった。そんな思いで涙が出てしまうんじゃないかな。

 特に覚えている試合は同級生の最後の試合です。スタンドで応援していたのですが、奇跡が起こらない限り終わっちゃうな、っていう場面でした。最後の打席で、監督が「お前が行け」って選んだ代打の子がいたんです。ホームランを打つとか、そんなすごい成績を残していた子じゃなかった。でも、それまでずっと真面目に練習をやってきた子。一度も練習を休んだことがなかった。監督がその子を選んだのは、きっと「この子が最後のバッターになったら、どんな結果になろうと全員が納得するだろう」って考えたからだと思うんです。結局、三振で終わっちゃいましたが、スタンドから見ていても伝わるものがありました。

 夢中になれるものを見つけられるって、それだけですごいことだと思います。今、1歳と4歳の娘がいますが、やりたいって言ったことはなるべく全力で応援してあげたいです。

 大舞台に立つ時は、ものすごい緊張とか不安があるじゃないですか。それを少しでも和らげるのは、普段の地道な練習だと思います。「あれだけやったから大丈夫」ってきっと思えるはず。一度きりの青春だから、球児のみんなには、仲間とこれまでの練習を信じて頑張ってほしい。私も応援しています。(聞き手・松浦祥子)

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 くまだ・ようこ 1982年生まれ。高校卒業後の2001年に芸能界デビューし、写真集やDVDを数多く発表。グラビアの世界でトップの人気を誇り、現在はバラエティー番組でも活躍する。07年からは、県の飛驒・美濃観光大使を務めるなど、岐阜の魅力発信に力を入れる。12年に一般男性と結婚。2人の娘を育てながら、精力的に芸能活動を続けている。