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 「三くだり半を突きつける」。そんな決まり文句もある江戸時代からの離縁状が、山梨に数多く残っていると聞いた。17世紀の最古の離縁状まであるらしい。なぜ、そんなに多いのだろうか? 現在はそれほど離婚が多い県ではないのに。理由を探ってみた。

 厚生労働省の人口動態統計では、2015年の山梨県の人口千人当たりの離婚率は1・75で全国平均1・81より低い。昔は事情が違ったのだろうか。

 まずは笛吹市の県立博物館の資料閲覧室に行き、パソコンに「離縁状」と打ち込んで検索してみた。古文書など歴史資料のコレクション「甲州文庫」を含め、収蔵資料が22件見つかった。確かに多そうだ。画面に離縁状が現れるのだが、読み下せない……。

 離縁状研究の第一人者で日本法制史の高木侃(ただし)さん(75)に助けを求めた。大学史編集主幹を務める専修大学(東京都千代田区)を訪ねた。

 そもそも離縁状とは何なのか。多くは夫が妻を離婚するという「離婚文言」と、以後は誰と再婚しても構わないとする「再婚許可文言」から成るという。江戸幕府の法律である「公事方御定書」に定められ、夫が離縁状を妻に渡さずに後妻をめとると「所払い」の刑が科され、離縁状を取らずに再婚した妻は髪を剃(そ)って親元へ帰されたという。「三くだり半」というと、夫が一方的に妻へ渡すイメージがあるが、実際には夫が妻から「返り一札」(受取証)をもらう例もあり、「多くは夫婦間の協議を伴う熟談離婚だった」。いきなり驚かされた。

 高木さんの著書「三くだり半と縁切寺(えんきりでら)」によると、女性が男性に著しく隷属させられ、「家」意識や男尊女卑が観念ではなくホンネとして強制されたのは明治中期以降だという。「三くだり半と縁切寺」をもとに小説「東慶寺花だより」を執筆した作家の故井上ひさしも、高木さんへの書簡で「明治の民法典を境に、婦人問題が、江戸期よりかえって後退していることを知って、小説にしたいと思い立った」と書いている。

 なぜ「三くだり半」と言うのか…

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