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 みなさんは、「大阪」、という地名で何を思い浮かべますか?

 通天閣、グリコの看板、幸福の神様「ビリケン」……。

 歴史をさかのぼれば、大阪城をつくった豊臣秀吉でしょうか。

 秀吉さま、申し上げます。

 東京に「ソウルドアウト」という会社があります。インターネットを使って、中小企業のマーケティングをトコトン応援する会社です。200人余りの社員が、全21カ所の営業所に散らばり、熱き心で中小企業におもむき、社長さんたちと顔をつきあわせています。

 2010年にここを立ち上げたのは、社長の荻原猛さん、43歳。今回と次回、荻原さんの物語を描きます。

 秀吉さま、申し上げます。

 この男、かつて大阪にあこがれました。あなた様が貿易の街としてつくった大阪に。けれど……。

     ◇

 荻原の父は、靴やカバンの卸、小売りの店を営んでいた。母は、そのお手伝い。高度成長まっただなかの1970年代、靴もカバンも売れに売れた。

 東京は葛飾のマンション暮らし。食べたいものを食べ、ほしいものは買える、不自由のない暮らしだった。進学塾に行き、野球、柔道、さらに空手も習った。

 成績は優秀。自信に満ちあふれていた。つねに友達の輪の中心にいた。

 けれど、小学4年、10歳のとき、父の実家がある群馬県に引っ越すことになった。

 何があったのか、荻原少年には分からなかった。けれど、住まいが古いアパートになった。食事も、おかず一品に。塾にも行かなくなった。

 借金取りが、たびたびアパートに来た。ドンドン、ドンドンと、ドアをたたく。電話もかかってきた。リリーンリリーン。受話器をとる。「荻原さーん、払ってよ」。電話の音がなるたび、ビクッとするようになった。

 親戚から縁を切られたこともあった。

 荻原は、父親の会社の倒産、を理解した。そして、決意した。

 〈今に見ていろ。ぼくが会社の社長になって、大成功して、大人たちを見返してやる!〉

     ◇

 秀吉さま、申し上げます。

 荻原さんが、大阪とかかわるのはもう少し後のことになります。

 荻原さんは、群馬の小学校では相変わらず輪の中心にいました。東京から来た転校生というプレミアムがあったのだそうです。

 秀吉さま、心得ております。東京もんという神通力、大阪では通じないということを。

     ◇

 中学になって、荻原は母の実家がある宇都宮へ。両親が離婚したのだ。いっしょにいつづけると借金の取り立てなどでつらい思いをするだろうから、という考えがあってのことだ。

 母親と妹との3人生活がはじまる。つねに友達の輪の中心にいた荻原少年は、平凡でいい、目立ちたくない、と思うようになっていく。勉強への意欲を失い、成績は急降下。少年は、父親を恨んだこともあった。

 荻原は公立高校、そして、浪人して、東京のとある私大に入った。東京でのアパート生活。家賃も生活費も、ぜんぶ荻原がバイトで稼いだ。

 でも、楽しくて仕方がなかった。いろいろバイトをして稼いでは、合コンして過ごした。

 3年生の後半、ベンチャー企業の人たちと知り合った。その人たちと話すことが楽しくて、合コンの回数は減っていく。荻原の心に、10歳のときの決意がよみがえった。

 〈今に見ていろ。ぼくが会社の社長になって、大成功して、大人たちを見返してやる!〉

 就職活動。起業するには営業の力をつけなくてはダメだ、と思った。修業をしなくては。どうせ売るなら、でっかくて単価が高いものを売りたかった。単価が高いといえばマンションだ、と思った。

 マンション会社への就職を確実に決めるには、どうするか。考えて、宅地建物取引の資格をとった。そして、有名マンション会社への就職内定を決めた。

 ところが、バイト先の人が起業するという話を聞いた。店舗のデザインなどをするのだとか。

 起業、という言葉の魔力にひかれ、荻原は、そっちにいくことにした。その人と、もうひとりと3人での起業、ということに。

 起業の場所はバイト先の人の出身地。そこは……。

     ◇

 秀吉さま、申し上げます。

 荻原さんたちが起業したのが、大阪です。いまの駅名でいうと「桃谷」です。そうです、あなたさまが築いた「大阪城」が名に入った駅もあるJR大阪環状線の駅です。

 荻原さんは、こう思いました

 〈商売を勉強するなら、秀吉が貿易の街にした大阪だ。貧しさに負けず、人の気持ちに入り込んで成り上がった秀吉の街だ。若いうちに商売を学ぼう〉

 実は、つきあっていた女性に、軍資金を貸してもらっての大阪行き、でした。その女性は、のちに奥さんになります。

 ♪商売のためなら 女房も泣かす

 昭和という時代に、日本では、「浪速恋しぐれ」という歌がはやりました。本当の歌詞は、「商売のためなら」ではなく、「芸のためなら」です。

     ◇

 東京もんの荻原に、大阪の人たちの心の壁が立ちはだかった。

 「そうか、東京から来たんか、それで?」

 大阪では、東京から来たという神通力は、まったく通じない。なかなか信頼してくれない。商売につながらない。

 この会社と取引したい、この人と取引したい。その一念から、何度も、何度も、さらに何度も、通った。

 心の壁を打ち砕いて信頼してもらったら、めちゃくちゃかわいがってもらえた。

 〈靴底を減らすことが、何より大切なんだ〉

 「靴底を減らす」。これがいまの会社につながるキーワードである。くわしくは次回。

 学生のころよりカネがなかった。学生のときは、稼いだカネは自分で使える。けれど、会社経営だと、稼いでも、稼いでも、借入金の返済とか事務所の家賃とかに消えてしまうからだ。

 荻原は、ミナミの夜が好きだった。道頓堀にかかる橋の上から見上げた。

 そこには、でっかいグリコの看板がある。

 〈でっかいなあ。いつか、おれも、あんな風にでっかい人間になってやる〉

 けれど、大阪暮らしは3年もたなかった。カネが底をついてしまったのである。

     ◇

 秀吉さま、申し上げます。

 荻原さんは、会社を去る決心をしました。

 必要な荷物だけを赤帽の軽トラに積んで、助手席に乗ります。

 〈これが敗北ということか〉

 大阪の海は、悲しい色でした。(敬称略、つづく)

     ◇

 中島隆(なかじま・たかし) 朝日新聞の編集委員。自称、中小企業の応援団長。著書に「魂の中小企業」(朝日新聞出版)、「女性社員にまかせたら、ヒット商品できちゃった」(あさ出版)、「塗魂」(論創社)。この春、手話技能検定準二級に合格。

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