[PR]

球覚 涙のにおい

 主力打者になった同級生の転校を何としても食い止めなきゃ――。みんな、いてもたってもいられなかった。

 昨年9月。池田(大阪府池田市)硬式野球部の2年生約15人が、岩崎誠君の自宅に押しかけた。「お母さんと話させて。話すまで帰らんで」。なだめる岩崎君に詰め寄った。

 通されたリビングで、大先啓斗君は「僕は一人っ子だから、岩崎をうちに居候させて下さい」。岩崎君の母洋子さん(49)に直訴した。

 「岩崎を秋の大会の終わりまでいさせて下さい」。みんなそろって、頭を下げた。

 岩崎君は自室に引き上げていた。「無理だろう」。とっくに諦めていたから。

 ただ、驚いていた。朝練で「家に行くから」と宣告されたけど、本当にみんなが来ると思わなかった。「こんなに自分のことを思ってくれていたことがうれしかった」

     ◇

 みんなが転校を知ったのは、その数週間前。秋の府予選の初戦を終え、学校でのミーティング中だった。

 約40人の前で、岩崎君がスッと手を挙げ、「申し訳ないんやけど」と切り出した。「引っ越すことになった。野球部をやめます」。薄暗くて岩崎君の顔は見えない。鼻をすする音だけが響いた。父親の転勤のため、9月いっぱいで宮崎市に引っ越すという。

 1年の春、一塁を守っていた岩崎君は走者とぶつかり、左手首を骨折。約3カ月間、ベンチでノートをとりながら、配球を勉強した。

 「自分の考えで球を打つことができるようになった」。179センチ、79キロ。スイングスピードがチーム最速の強打者に急成長した。

 「岩崎のいないチームで勝ち進めるのか」。転校を知らされた夜、捕手の永井歩公之(ふくひで)君は自宅玄関で30分間、立ち尽くした。

 「転校、無しにできひんの?」。翌朝から芦田康佑主将は繰り返し岩崎君に尋ねた。

 小さな「奇跡」が起きた。2学期が終わるまで、引っ越しが延期になった。思いがけない猶予期間。「岩崎と、ちょっとでも長く大会をやろう」。チームはこれまで以上に結束を強めた。

 10月、府予選の準々決勝。最後の打者、原優真君が空振り三振に終わり、3―6で敗れた。校歌を歌う相手チームを見ても、芦田君は「まだ試合は続いていて、勝てる気がしていた」。

 岩崎君は泣きじゃくりながら、ベンチの荷物を運び出した。「もう終わっちゃったのか」。仲間との最後の試合の余韻をかみ締めた。

 試合後のミーティング。体育座りをして監督の話を聞きながら、芦田君は岩崎君のことを考えていた。

 「もう一緒に野球できない」。生きてきて、一番悲しかった。涙がどんどん湧き出る。のどの奥が苦しくなって、しょっぱいにおいがした。涙の量が多すぎて、においなのか、味なのか、もう分からないほどだった。

 岩崎君が引っ越す3日前の大みそか。部の納会があった。全員でお金を出し合い、岩崎君にバットを買った。金属製は予算オーバーだったから、練習用に木製を選んだ。「甲子園で会おうな」。牛尾優人君が代表して手渡した。

 帰り道、岩崎君は全員にLINEでこう送った。

 「もらったバットを振って大阪まで名前が轟(とどろ)くような選手になれるよう頑張る。甲子園でまた会おう。約束だぞ!」

     ◇

 池田の1、2月の月間目標は「ポスト岩崎」。岩崎君の代わりになる選手になろうと全員が必死になった。エースの池本純君は球速を上げ、田中義洋君は練習試合で3打席連続の本塁打を放った。

 岩崎君は1月、昨夏の宮崎大会で4強入りした県立宮崎大宮高校に編入した。3年生の今、4番に座る。

 2週間に1回は大先君と電話をして、試合の結果やチーム一人ひとりの調子を確かめる。そして、仲間にもらったバットを自宅で振り込む。「約束を果たせるよう、頑張らないと」

 池田の初戦は17日。岩崎君を思って、においを感じるほど流した涙がチームを大きくした。甲子園での再会へ、一歩を踏み出す。(半田尚子)

こんなニュースも