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 平安時代の僧侶・源信(942~1017)は奈良に生まれ、比叡山で修行した。栄誉を捨て、己を律し、学業に打ち込むなかで残した著書「往生要集」には、地獄に落ちる苦悩、極楽浄土に往生する喜びが書かれている。その描写は時代を超え絵師らの想像力を刺激し、様々な地獄絵、極楽図が描かれてきた。そのなかから仏教絵画や仏像を中心に約140件の名品を選び出し、源信の千年忌の特別展「源信 地獄・極楽への扉」で紹介する。

 「一篋(いっきょう)は偏(ひとえ)に苦なり。耽荒(とんこう)すべきにあらず」

 数え44歳の985年に書き上げた「往生要集」で、源信は人の体を苦に満ちた箱にたとえ、むさぼってはならないと戒めた。なのに、と高僧の嘆きは続く。

 欲望にとらわれ、いっときの快楽を永遠と思い込む。だからほら、気がつくと地獄が迫ってきている。地獄のひとつ阿鼻(あび)地獄に落ちていく罪人のつぶやきに耳を傾けるがいい。

 「我、今帰(き)する所なく、孤独にして同伴なし」

 底なしの絶望感は、後世の絵師らの心も揺さぶり、数多くの地獄絵が生まれた。傑作のひとつが鎌倉時代(13世紀)に描かれた国宝「六道絵(ろくどうえ)」(滋賀・聖衆〈しょうじゅ〉来迎寺蔵、展示は7月15日~8月6日)である。

 六道と呼ばれる六つの世界(地獄道、餓鬼道、畜生道、阿修羅〈あしゅら〉道、人道、天道)を巡り続ける苦しみと悲しみを、15幅の絵に描き切った。複数の絵師がかかわったとみられ、中国絵画の影響も色濃い。

 よく見ると、田畑を耕したり、魚を取ったりする当時の暮らしも描かれ、日常のすぐそばに苦しみの世界があることを改めて思い知らされる。

 ただし、源信は地獄の恐ろしさだけを訴えたかったのではない。本当に伝えたかったのは、阿弥陀仏や極楽浄土のすばらしさや、極楽に往生するための心構え、臨終を迎える際の作法などである。時には問答形式でわかりやすく解説されており、時代を超えて広く読まれ、極楽図を練り上げる絵師や仏師らの想像力をも刺激してきた。

 臨終の際に、楽器を奏でながら迎えに来る菩薩(ぼさつ)たち(聖衆)と阿弥陀を描いた国宝「阿弥陀聖衆来迎図(らいごうず)」(和歌山・有志八幡講〈ゆうしはちまんこう〉蔵、展示は8月22日~9月3日)は、幅4メートルを超える平安時代(12世紀)の傑作だ。こちらも絵師はわからない。

 荘厳な阿弥陀、菩薩らの生き生きとした表情、目の前で動き出しそうな雲、そして左下に描かれた風景の典雅な味わい。極楽浄土に往生したいという切実な願いが伝わってくる。(森本俊司)

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 《源信》 奈良・當麻寺(たいまでら)近くで生まれ、比叡山で修行。10代で得度受戒した後に比叡山の横川(よかわ)で隠棲(いんせい)。「往生要集」で浄土教を大成し、法然、親鸞らに影響を与えた。恵心僧都(えしんそうず)と呼ばれ、源氏物語に登場する横川の僧都のモデルとされる。