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谷口明成さん(1932年生まれ)

 1945年8月8日。当時、淵国民学校高等科(現・長崎市立淵中)1年生だった谷口明成(たにぐちあきなり)さん(85)は、学校が終わると、ふと、母と弟が疎開している喜々津村(現・諫早市多良見町)に行こうと思った。「なんでそう思ったか、今でも不思議」という。

 喜々津で1泊し、翌9日、喜々津駅から浦上駅まで列車に乗って帰ろうと思った。だが、なかなか切符を買う順番が回ってこない。そのまま列車に乗れずにいると、「長崎に爆弾が落ちたから、浦上方面には行かれん」と聞いた。それが原爆だった。

 当時、爆心地近くの浦上地区の新聞配達に動員されていたという谷口さん。もし、喜々津に行かずに、長崎にとどまっていたら、自分の命はなかっただろう、と思う。同時に、「自分だけが生き残った」という負い目も感じることになる。

 今年、谷口さんから朝日新聞長崎総局へ寄せられた1本の電話をきっかけに谷口さんと会い、体験を聞かせてもらった。

 谷口さんは長崎市目覚町で育った。今は付近の様子は変わっているが、今年3月、一緒に歩くと、「この辺に郵便局があった」「材木屋さんがここ」と記憶をたどり、自宅のあった場所に連れて行ってくれた。

 幼い頃から、谷口さんは浦上地区を駆け回って遊んだ。現在、一本柱鳥居や大クスで知られる山王神社(長崎市坂本2丁目)では、落ちたクスノキの実を拾って、竹の筒に詰めて空気鉄砲にしたという。神社のそばには、コイのいけすもあった。「石を投げて怒られよった」。大雨が降ると、あふれて逃げたコイを追いかけた。

 自宅のすぐそばにあった浦上駅にもよく遊びに行き、駅員と親しくなった。「冬なんか、『イモば持ってこい』って言われて、駅でよう焼いて食べよった」。駅員は、川でのウナギやエビの捕り方も教えてくれた。郵便局でスタンプを押させてもらうこともあったという。谷口さんは少年に戻ったような笑顔で、思い出を語ってくれた。

 取材中、貴重なものも見せても…

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