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 福島第一原発の事故で家族を失った人たち、家を追われた人たちが30日、東京電力旧経営陣の刑事裁判に目をこらした。今も続く悲しみや憤りを胸に、事故の原因と責任を明らかにする決意を新たにした。

 東電元幹部の刑事責任が初めて問われた裁判の初公判を終え、事故の責任を追及してきた「福島原発告訴団」は支援者への報告集会を開いた。

 告訴団副団長で福島県いわき市議の佐藤和良さん(63)は自身も叔母を津波で亡くした。原発事故で避難を余儀なくされ、遺体と対面したのは約2カ月後だった。元幹部が無罪を主張する姿に、「何をとぼけたことを」と怒りがこみ上げた。ただ、法廷で示された多数の証拠に可能性も感じた。支援者ら約250人を前に、「今日は始まりの第一歩だ」と呼びかけた。

 団長の武藤類子さん(63)=同県田村市=は多くの人が亡くなり、今も苦しみが続いていることに思いをはせた。「対策をしていればこんなにたくさんの人が苦しむことはなかった。公正な裁判が行われるよう、しっかり見つめていきたい」と話した。

     ◇

 西中美代子さん(73)=東京都文京区=の父、藤吉正三(まさみ)さん(当時97)も、福島第一原発近くの双葉病院に取り残され、避難中亡くなった。

 病院には338人が入院していた。西中さんは震災直後、「病院にいるんだから大丈夫」と思っていた。だがどこに避難したのか、見当もつかない。「雲をつかむような思い」で福島県庁や役場などに電話をかけまくった。ある役場の人から、双葉病院からの避難者がいるという5カ所の電話番号を聞くことができた。

 順番にかけて3カ所目、いわき市にある高校の体育館だった。「小柄で、白髪交じりで……」。藤吉さんの特徴を伝えた。返ってきた言葉は「申し上げにくいですが、亡くなっています」だった。東京駅からバスに乗り、体育館を訪れると、藤吉さんの遺体はブルーシートに覆われていた。

 後に聞いたところでは、藤吉さんは震災から3日後、双葉病院から救出され、バスで8時間以上かけてこの体育館に移されたが、翌日、亡くなっていた。「せめて、ベッドの上で亡くならせてあげたかった」と今でも思う。

 遺体の確認後も慌ただしい日が続いた。福島県大熊町にある先祖代々の墓は原発事故で避難指示区域になった。電話帳をめくって納骨堂を探し、臨時で納骨した。

 遺族として東電に損害賠償を求めた訴訟では、大量の書類に目を通さなければならなかった。昨年5月、東電に賠償を命じる判決が下ったものの、「疲れました。本当に」と西中さんは振り返る。

 多忙な日々を思い出すたび、一変した事故後の暮らしを思うたびに、原発事故の責任の所在が不明なままの現状に違和感が残る。「事故はまだ、終わってないんですよ」(根津弥、茶井祐輝)

■訴訟、全国で4…

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