拡大する写真・図版 1995年3月20日、サリン事件が起き、聖路加国際病院のチャペルにも多くの患者が運ばれた(同病院提供)

 あの日、当時院長だった日野原重明さんの指示で、聖路加国際病院の全ての外来と、ほとんどの手術が中止となった。地下鉄サリン事件の被害に遭った患者を診た石松伸一副院長(57)=当時・救急部副医長=は振り返る。「日野原先生の決断があってこそ、多くの命が救われた」。今月18日に105歳で亡くなった日野原さんの葬儀は、29日に執り行われる。

 1995年3月20日。午前8時40分以降、続々と患者が運ばれてきた。「息が苦しい、目が痛い」と訴える人もいれば、心肺停止の人もいた。緊急招集された石松さんらは、なぜ患者が苦しんでいるのか原因がわからず、症状別に患者を振り分けた。最初は農薬中毒かと考え、その治療薬を使ったが効果がみられなかった。

 「全ての患者を受け入れる」との方針で、日野原さんは「外来診療中止」と「麻酔のかかった手術患者を除く予定手術一切の中止」の指示を出した。当時83歳の日野原さんは、患者の車いすを押す手伝いもしていた。

 「全職員が『やるしかない』と腹をくくった。中途半端な指示だったら迷いも出て、受け入れを制限していたかもしれない」と石松さん。原因物質がサリンとわかり、解毒剤を使うと、他の薬で止まらなかった患者のけいれんがおさまったという。約2時間で640人が運び込まれ、1人が亡くなった。

 患者の多くは、北欧の病院を参考に災害に備えて設計され、92年にできた新病棟に運ばれた。新病棟は日野原さんの発案で、待合室や廊下でも酸素吸入や吸引ができる設計に。病院中に約2千本の配管が備えられていた。石松さんは「職員たちは、これだけの病院なのだから何かあったら自分たちがやらなくてはという意識を持っていた」と語る。事件の日、マットレスを敷いた廊下やチャペルも応急処置の場となった。

 予防医学の提唱、ホスピスケア…

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