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歴代担当記者がみたボルト

 8月4日にロンドンで開幕する世界選手権でラストランを迎える世界最速の男、ウサイン・ボルト(ジャマイカ)。ふだんは陽気で、各国記者の質問にも丁寧に答える彼だが、あの質問を突きつけられると、一瞬、目つきがするどくなった――。

 ボルトのことを記事にしたのは2007年の大阪世界選手権が最初だった。200メートル決勝。勝ったのはタイソン・ゲイ(米)だったが、スタートダッシュ良く飛び出したのがボルトで、銀メダルに輝いた。当時21歳。身長196センチのダイナミックな走りは将来性十分だった。

 翌年、ボルトは一気にスターダムにのし上がる。5月末、ニューヨークで100メートルの世界記録を更新。母国ジャマイカの先輩、アサファ・パウエルの持っていた記録を0秒02上回る9秒72をマークした。ボルト伝説の始まりである。

 7月末、ロンドンで10人ほどの地元記者らとともにボルトを囲む機会があった。前年のベストが10秒03だっただけに、急激な記録の伸びに対し、ドーピング絡みの質問が矢継ぎ早に飛んだ。「僕は潔白。競技場にいるすべての選手がクリーンであることを望んでいる」と、ふだん陽気なボルトが目つき鋭く答えていたのを思い出す。当時、ジャスティン・ガトリンやマリオン・ジョーンズ(ともに米)ら一線級の短距離選手にドーピング違反が次々に発覚していた。

 この頃はあくまで200メートルが専門で、100メートルは200メートルのためのスピード強化の意味合いが強かった。目の前に迫った北京五輪でも本人は両種目に自信をみなぎらせていたが、「100メートルに出るかはコーチの判断」とさえ語っていた。

 そして北京五輪。100メートルは中盤ですでに大きなリードを奪い、最後は力を抜き、踊るようにしてフィニッシュラインを突破した。それでも9秒69の世界新。続く200メートルも19秒30の世界新で制した。両種目の制覇は1984年のカール・ルイス(米)以来で、ともに世界新で勝ったのは史上初の快挙だった。

 ニックネームは「ライトニング・ボルト(稲光)」。天空に向かって矢を引くような今となってはおなじみのポーズも披露した。スタート前からの陽気なポーズは「自分にプレッシャーを与えないため」。ジャンクフードが好物で、北京五輪では「とにかくチキンナゲットだけを食べまくっていた」と語っていたのを記憶している。(堀川貴弘)