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 広島と長崎。14歳のころ、弟と2人で2度の被爆を生き延びた女性がいる。青森市在住の福井絹代さん(87)。これまで体験をほとんど語ってこなかったが、その記憶を残そうと映画の制作に協力している。

 絹代さんは72年前、2歳下の国義さんと2人きりで広島市千田町の一軒家に住んでいた。長崎市で生まれたが両親が離婚。父に連れられて広島に来た。父は出征し、絹代さんが働きながら弟の面倒を見ていた。

 8月6日の朝は、平凡なきょうだいげんかで始まった。絹代さんは、朝食のご飯を残して洗面器で洗濯のりを作っていた。ところが国義さんが捨ててしまった。「もったいない!」。ひとしきり言い合った後、洗濯物を干そうと中庭に一歩、足を踏み出した。そこで、意識が途切れた。

 爆心地から約1・8キロ。2階建ての家は崩れ、絹代さんは下敷きに。国義さんに引っ張り出されたが、目に壁土が入ってひりひりと痛んだ。左耳が聞こえなくなっていた。逃げる途中、消え入りそうな声で助けを求める声を何度も聞いた。何もしてあげられなかった。

 食べるものも住むところもない2人は、祖母のいる長崎を目指した。すし詰めの列車に揺られた。

 9日、その瞬間の記憶ははっきりしない。列車が止まり、大人たちが逃げ出した。「新型爆弾だ」。弟がそう耳にした。絹代さんは広島の記憶がよみがえり、怖さで動けなくなった。

 長崎の爆心地から北、約4キロ地点だった。

 南へと歩いた。浦上天主堂のそば、爆心地付近も通った。黒こげの遺体で埋め尽くされていた。震える弟を連れ、遺体を踏み越えて前に進んだ。

 「広島で、2人ともだめだと思っていた」。15日の夜、再会を果たした祖母に抱きしめられた。「戦争は、終わったよ」。その後の約2カ月、2人の下痢は止まらなかった。

 戦後は結婚して夫の古里、青森…

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