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 「総(すべ)ては宿命です。誰か甘受せねばならぬ運命を私が背負つて行くわけです……」。タイとミャンマー(ビルマ)を結ぶ泰緬(たいめん)鉄道建設をめぐって捕虜虐待の罪に問われ、「BC級戦犯」として1947年に絞首刑となった元軍医の信沢寿さんは死の直前、妻と娘に遺書を書いていた。「主人の最後はどうでございましたでしょうか」。遺書を届けてもらったお礼に、妻つねさんは教誨師(きょうかいし)を務めた明長寺(川崎市)の住職、関口亮共さんに手紙とはがきを送っていた。遺書の全文と手紙の抜粋を紹介する。

信沢寿さんが妻つねさんにあてた遺書

 遺書(二十五日午前四時書ク)

 かたわらに秋草の花語るらく亡(ほろ)びしものは美しきかな

 と牧水は歌つて居(お)りますが私は本日午前十時半この美しき仲間に入ります。歴史的日本敗戦の犠牲となりてシンガポール・チヤンギー監獄の絞首台上の露と消えて行きます。私の埋められる処には果たして秋草の花が咲いているや、いな名もなき熱帯の雑草にて近く覆はれてしまうでせう。

 昭和二十一年六月二十日英シン…

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