長崎の原爆で一瞬にして焼かれた背中の大やけどは核兵器廃絶に向けた覚悟、そのものだった。生きる苦しみに耐えながら国内外で被爆の悲惨さを訴え続け、88歳で亡くなった谷口稜曄(すみてる)さん。核廃絶への思いは次世代に託された。

生々しい傷痕、全身に抱えて〈評伝〉

 「触ってみんですか」

 昨年10月。取材に訪れた記者に、谷口さんは穏やかに、静かにそう言った。

 背中の全面がピンク色のまだら模様。70年以上たってなお、やけどの痕は生々しかった。つるつるとした痕から感じた温かみが今も手に残っている。

 あの日、1軒に郵便物を配り終え、次の配達先に向かおうとしていた。突然、後ろから熱線を浴びた。「あっという間の出来事ですから。熱いとか痛いとか感じる余裕はないわけ」。背中は一瞬にして焼かれた。少年の人生はその日で一変した。

 翌年1月、入院中の病院で米軍が治療の様子を撮影した。その写真や動画は後に世に出て、谷口さんは「赤い背中の少年」として知られるようになった。

 だが、その苦難を示すのは、背中だけではない。むしろ、記者につぶさに見せたのは胸だった。特に左胸は乳首が隠れるほどに変形し、黒ずんだ骨が何カ所も露出している。

 触れると硬い骨のざらっとした感触が指から伝わる。1年9カ月の間寝たきりだった入院生活で床ずれした痕だ。左胸の骨の間で心臓が脈打つのも分かる。

 寝たきりの間、背中の痛みで何度も何度も「殺してくれ」と叫んだ。周囲が「今日も生きている」と言うのも聞こえた。死と隣り合わせで夢も希望も持つことは考えられなかった。その生活を耐え、この背中を負い、胸を抱えて生きてきた。

 退院後は同じ病院にいた山口仙二さんらと長崎原爆被災者協議会(被災協)などで活動した。「被爆者運動によって生かされた」と振り返るように、治療の傍ら、国内外で核廃絶を訴え続けた。

 ここ数年は入退院を繰り返して…

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