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 生後6カ月で生体肝移植を受けた井口陽夏乃(いぐちひなの)ちゃん(2)の母でドナーになった幸司(ゆきじ)さん(33)にとって、臓器移植は「テレビの世界」だったというほど、日常生活から遠い医療でした。そのすき間を埋めてくれたのが、同じ病気で移植手術をした家族のブログでした。だから、幸司さんも同じように「役立てば」という気持ちで、ひなちゃんの様子を移植前からブログでつづっています。臓器移植を受けた人は、日本人の人口からすればわずかで、限られた情報を頼るしかないのが現実です。そんな患者や家族に希望を失わせないように、医療者は「最悪を想定」しつつ、「最善を追求」してきました。

 

臓器移植は遠い存在

 日本移植学会の「ファクトブック2016」によると、15年に行われた臓器移植の数は、すべての臓器を合わせて2250例でした。このうち生体移植は1901例で、うち肝臓移植は391例しかありません。「年間約2200人」が肝臓移植の適応患者とされており、提供数と希望者数の間には大きな開きがあります。待機中に亡くなる患者さんもたくさんいます。

 陽夏乃ちゃんは、生後まもなく肝臓と腸を直接つないで胆汁を流す「葛西手術」をしたものの病状は良くならず、術後10日目、幸司さんと父親の実事(みこと)さん(34)は「もしかしたら手術はうまく行かなかったのかもしれない」と話していたそうです。

 両親は「夏だから名前は『あいす』にしようかな」などと陽夏乃ちゃんが生まれてくるのを楽しみにしていました。それを思うと、ご家族の心情は計り知れないものがあります。そんな暗い気持ちになっていた時、スマートフォンのネット検索ででてきたのが、同じ病気の胆道閉鎖症で生体肝移植をした母子のブログだったそうです。医師からもまだ移植の話が出ていない時期でした。

 ただ、医療者でもない市井の人たちにとって、移植は遠い存在です。当時の移植のイメージを両親に聞くと、「テレビの世界」「募金」「海外に行くイメージ」という言葉が返ってきました。だから、ブログを読み、生体肝移植を知っても、「自分たちの肝臓をあげられるけど、正直いくらかかるのかなと思った」という感じで、夫婦の間で具体的な話に発展しなかったそうです。難しい移植手術をする前に家族3人の思い出にしたいと考え、医師に「年末にハワイに行っていいですか」と尋ねたぐらいでした。

 

「悲観的に考えずにいきましょう」

 一方、医療者は最悪の事態を想定しつつ、最善の策を考えていました。「葛西手術」をした東京大学医学部付属病院小児外科助教(当時)で、現在は病院診療医の高橋正貴(たかはしまさたか)さん(37)は、こう振り返ります。

 「葛西手術の直後は、胆汁が出ることを期待します。できれば移植せずに済む方がいいからです。しばらくして急に黄疸(おうだん)が良くなる子もいます。ご両親には『悲観的に考えずにいきましょう』と言いました。そうしないと気持ちが切れてしまうからです」

 同時に移植になることも考え、体重を増やすよう栄養の吸収効率がいい「治療ミルク」を提案したり、小児の生体肝移植で経験が豊富な国立成育医療研究センターの笠原群生(かさはらむれお)さん(51)にデータを送って相談したりしていました。東大病院では、小児の生体肝移植をしていません。高橋さんも以前、国立成育医療研究センターで小児外科医として勤務していたこともあり、その実力を知っていたからです。だから、葛西手術の際も、いずれ移植手術をすることになることを想定し、手術の難易度が上がる癒着が起こらないように注意して手術をしていました。ひなちゃんの生体肝移植が、平均時間よりも早く終了できたのも、笠原さんら移植チームの積み重ねられた技術のほか、こうした先を読んだ処置や連携も影響しています。

 

不安にさせない医療

 笠原さんは、NHKの人気番組「プロフェッショナル 仕事の流儀」にも今年7月、取り上げられた移植医です。井口さん夫婦が初めて相談に訪ねた2015年10月、笠原さんは検査後、「肝硬変」という直接的な言葉を使わずに説明したそうです。

 「小児の場合、いきなり厳しい説明をすると、ご両親がびっくりしてしまう。患者に与えるダメージも大きい。医療は第一印象で、受けるか、受けないか、決まる。不安のどん底にいるので、『助かるか分からない』といったら、より不安になるでしょう」

 そして、こう付け加えました。

 「(移植医の)僕のところに最後に来るので……」

 もちろん、移植には2種類あり、生体肝移植と脳死肝移植があることを説明しています。ただ、「医者が考えるスピード感と患者や家族が考えるスピード感が違うという現実があります」と指摘します。例えば、胆道閉鎖症の場合、「待っていても、どんどん悪くなるだけで、病状が良くなることはない」のが現実です。「悪い状態で移植手術をすれば、治療成績も良くありません」。体重が6キロ未満の子どもへの移植は難しいと言われていますが、笠原さんらの移植チームは、移植する肝臓を薄くする技術を開発しました。「子どもが成長して大きくなるのを待つか、移植する肝臓を小さくするかは、患者にとって大きな問題だからです」と話します。

 臓器移植は、臓器を提供するドナーが欠かせません。井口さん夫婦は最初、「母親は産後3カ月はドナーになれない」と言われました。これは、国立成育医療研究センターの当時の院内ルールですが、出産の負担も考えると、すぐドナーになる負担を付加させるのは良くないと考えるからです。そのルールも昨年、産後1カ月に変わったといいます。

 劇症肝炎で運ばれてくる赤ちゃんが続きました。移植の対象疾患の中でも緊急性が高いものです。ただ、母親しかドナーになれる人がいませんでした。院内で慎重に検討し、移植を認めることにしたそうです。日本では生体肝移植が一般的になっていると言っても、家族のかたちによって、受けられたり、受けられなかったりする患者が出てくるのが現実です。

 

アドバイスし合う家族会も支えに

 国立成育医療研究センターには、2人のレシピエント移植コーディネーターが活躍しています。その1人が、井口さんへの説明などにも加わった看護師の上遠野雅美(かとおのまさみ)さん(43)です。移植の相談、ドナーに3回行われる意思確認などを医師とともに行っているほか、術後の退院指導も重要な役割です。

 上遠野さんは、「話しただけでは、ご家族は移植後のイメージがわきません。移植後に寝たきりになってしまうと思っている人もいます。タイミングが合って移植で元気になった親子さんに会えれば、移植前の親子さんも安心感がわいてきます」と話します。だから、国立成育医療研究センターで肝移植を受けた人の家族会「ドレミファクラブ」(http://www.doremifaclub.com/別ウインドウで開きます)の参加についても声をかけているといいます。「患者によって事情は違いますが、困った時にアドバイスをもらえるし、同じ気持ちを共有できるので心強いと言われています」

 退院後、発熱した時も、レシピエント移植コーディネーターが電話で相談にのっています。状態に応じて、近くの小児科医への受診を勧めたり、拒絶反応の可能性があれば国立成育医療研究センターへの診察を勧めたりします。免疫抑制剤によって体の免疫機能が落ちているため、感染症にかかると重症化することがあるためです。ただ、「子どもたちは、移植後の人生の方が長いです。怖い、不安だと思うけど、感染症は治療すれば治ります。少しずつ、普通の生活に戻してください」とアドバイスしているそうです。

 

移植医は神様ではない

 陽夏乃ちゃんの経過は順調です。母親の幸司さんは「他の人のブログを見ると、拒絶反応で入院になった子もいる」といい、この取材でも当初は「順調な子の話でいいですか」と言っていました。

 そんな陽夏乃ちゃんも移植後の服薬や経過観察は、同じように1~2カ月に1回の頻度で通院しなくてはいけません。父親の実事さんは「できればこのまま免疫抑制剤の薬の量を減らして行ければいい」と願います。

 拒絶反応の抑制する免疫抑制剤は、常に一定の血中濃度を保たなければなりません。そのため、陽夏乃ちゃんの場合は、午前9時と午後9時に同じ量の薬を飲ませています。幸司さんは「夜は夕方から寝てしまっているところを起こして薬を飲ませるのは、ちょっとかわいそうなぐらい」と話します。

 子どもの成長に伴って生活の質を考えると、できれば免疫抑制剤をやめられれば、と考える人も少なくありません。笠原さんは「部活などがある子は、(拒絶反応を抑える)免疫抑制剤の服用を1日1回にすることがあります。ただ、免疫抑制剤の服用をやめることはしません」と言います。移植医療は、まだわからないことがあるためです。1日1回にしても、必要な血中濃度を維持するため、薬の数や種類を調整しています。

 拒絶反応などで、再移植になる患者もいます。国立成育医療研究センターの場合、移植件数に占める再移植件数は約3%だそうです。

 笠原さんは、患者の家族の間で、「神様先生」と呼ばれています。この呼び名について笠原さんに尋ねると、「その呼び名はよくないね」と言います。笠原さんでも、助けられなかった子どもがいるからです。常に医療技術の向上を追求することで、高い治療成績に至っているからです。

 「移植した子どもの名前はすべて覚えている」と言います。電子カルテを見れば、当時の様子がすぐよみがえってきます。今も、時々、超音波検査や経過観察の診察をしています。

 「こちらも成長した姿を見るのがうれしい。『学校に入ったよ』『こんなことやっているよ』といった移植した子どもたちとの会話が、自分のモチベーションになっている。それが小児の臓器移植の一番の魅力です」

 こう笑顔で話していました。

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<アピタル:患者を生きる・移植>

http://www.asahi.com/apital/special/ikiru/

(岩崎賢一)

岩崎賢一

岩崎賢一(いわさき・けんいち) 朝日新聞記者

1990年朝日新聞社入社。くらし編集部、政治部、社会部、生活部、医療グループ、科学医療部などで、医療を中心に様々なテーマを生活者の視点から取材。テレビ局ディレクター、アピタル編集、連載「患者を生きる」担当を経て、現在はオピニオン編集部。『プロメテウスの罠~病院、奮戦す』、『地域医療ビジョン/地域医療計画ガイドライン』(分担執筆)