9月上旬、秋篠宮家の長女で内親王の眞子さまが婚約内定の記者会見を行った。皇族以外と結婚した内親王は皇籍を離脱するため、眞子さまが結婚されると、内親王は愛子さまと佳子さまの2人だけとなる。

 『歴史のなかの皇女たち』(小学館)の編著がある、埼玉学園大学名誉教授の服藤(ふくとう)早苗さん(日本古代中世史)は「このような状況は歴史的にも珍しい」と話す。かつての天皇家は一夫多妻で皇后以外に側室がおり、彼女らも子を産んでいたからだ。大正天皇も側室の子供だった。

 平安時代では、50代桓武天皇に19人、その息子の52代嵯峨天皇に27人、さらにその孫の55代文徳天皇には20人もの皇女(天皇の娘)がいたとされる。

 律令によれば、天皇の子として生まれた者はそのまま男子は親王、女子は内親王となり、品位と俸給などが与えられた。「でも子供が多すぎて財政が追いつかなくなり、やがて無給の内親王を設けたり、身分が低い氏出身の母親の子供には源(みなもと)姓を与えて臣下にしたりという手段をとらざるを得なくなった」と服藤さん。

 結婚相手を見つけるのも大変だった。律令では、皇女は天皇かそこから4世以内の皇族としか結婚できない。このため、皇女が同じ父を持つ兄弟や叔父と結婚するという事態がしばしば起きた。実際、桓武天皇は自分の4人の娘を、3人の息子と結婚させている。

 結婚できなかった皇女たちはどうしたのだろう。

 服藤さんは「出家したり、女官…

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