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 運転免許を自主的に返納する高齢者が右肩上がりに増えています。車が暮らしに欠かせない移動手段となっている人にとって、返納という決断は簡単なことではありません。いくつもの苦悩と課題があります。本人と家族それぞれの立場で、何を検討し、準備すればいいのでしょうか。読者の体験や専門家の助言を通じて考えます。

親の免許返納へ段取り

 「やっと一つ重荷が取れた」

 東京都の女性(53)の父親(82)と母親(78)は6月、そろって運転免許を自主返納しました。

 女性は一人娘です。父母は長野県の実家で2人暮らしで、ともにアルツハイマー型認知症と1年以上前に診断されました。道路交通法では、認知症は免許取り消し・停止の対象です。買い込んだ食品を腐らせるといった症状もあらわれ、月に1、2度の帰省時に「運転をやめて」と懸命に説得しました。でも「おまえの言うことはきかん」と強く抵抗し、運転を続けました。

 今年になって母の免許更新の通知が届き、手続き前に返納してもらおうと腹をくくりました。3月施行の改正道路交通法で認知症チェックが厳しくなりましたが、もし認知機能検査を通ったら運転をやめさせるのは不可能になると思ったからです。

 近くの警察署に「説得してほしい」と相談。診断書があったほうがいいと助言を受けました。両親の通院に同行し、気づかれぬよう認知症の診断書をもらっておきました。

 警察に出向く日はまず、通院に同行。きっかけをつくるため、主治医に「自主返納をさせたいので警察にいくよう促してほしい」と依頼するメモを渡しました。事情を知る主治医は「免許更新だって? 一度警察に行ったほうがいいよ」と両親に声をかけてくれました。

 その足で警察署へ。持参した診断書を相談室の机上に置きました。警察官は「ご不自由と承知で言うのですが、認知症になったら運転はできません」と両親に語りかけました。父は「弱い者いじめだ」「死ねと言うことと同じ」などと30分ほど抵抗したものの、最後は折れ、返納手続きに渋々応じました。両親が返納を忘れぬうちにと、当日中に車を処分。自動車保険も解約したそうです。

 返納後しばらくは針のむしろ状態。連日「お前のせいで人生めちゃくちゃだ。どうやって生きていけばいいんだ」などと父から電話がかかってきました。

 女性は一方で、車なしの生活を見すえ、買い物は生協の宅配を東京からインターネットで注文する態勢を整えました。飼い猫のえさの銘柄も調べ、通販で手配。市が高齢者向けに配達するお弁当も週3回頼んでいます。

 さらに民生委員や檀家(だんか)の婦人会などには事情を明かし、行事の際の送迎などを依頼。両親の日程を「マネジャーのように」聞き取り、介護タクシーなどの手配も。両親はようやく少し落ち着いてきました。

 「事故を起こして相手の家族を一生苦しめるより、親になじられる方が耐えられる。返納してもらって良かった」

「やめよう」市民も促す

 東京都調布市の岡田稔さん(84)は、運転免許を取得してから約55年たった昨年9月に自主返納しました。そして今、仲間たちと自主返納の促進策を検討する「市民会議」をつくろうとしています。

 80歳を前に車庫入れで駐車場の鉄柱にぶつけるようになり、一時停止の標識を見逃すことも。「運転技術の衰えや注意力が散漫になった自覚はなかったけれど、娘から『この際、やめたら?』と忠告されたのが返納の決め手になった」そうです。

 返納後は、妻の病院への送迎に使うタクシー代が月1万円超と費用がかさんだほか、マイカーで買い物や家族旅行ができないなどの不便を感じます。ただ、「自分には事故は無縁、という安堵(あんど)感は何ものにも代えられません」と言います。車の代わりに買った電動自転車で近くの寺の周りを走ると良い運動になり、新しい草木を発見するのが楽しみになっているそうです。

 そんな岡田さんが立ち上げようとしているのが「調布高齢者運転免許自主返納推進市民会議」という任意団体です。市内の仲間3人と9月、設立準備委員会をつくりました。

 きっかけは、高速道路での逆走など相次ぐ高齢ドライバーによる事故に危機感を抱いた山添登さん(82)が、「安心・安全のまちづくりのためにも、市民の側から自主返納を進め、事故を減らそう」と、仲間に声をかけたことでした。

 4人のうち準備委員会会長の山添さんと岡田さん、そして増田雅則さん(78)が自主返納済みで、佐々木善信さん(66)は「いずれは」と考えている予備軍です。

 市自治会連合協議会など約20団体に加わってもらうよう働きかけ、年内にも発足させたい考えです。行政などへの提言を積極的に進めていくそうです。免許更新時の高齢者講習で、ドライブレコーダーで記録した運転状況を点数化し、規定より低い点数の人に返納を警察が勧告▽75歳以上の人は免許更新を3年に1度から2年に1度、80歳以上は毎年にする▽行政によるミニバスの増便など、マイカーに代わる交通を使いやすくする公的特典を増やす――。こんなアイデアがすでに出ています。

 返納をどう納得したか、返納して良かったことなど経験談を自治会などで伝え、全国の人たちとも連携して活動を広げたいと考えています。「返納した人に光が当たる施策を広げられるよう、市民のうねりを作りたい」。これが4人の思いです。

生活の不便 後悔ないように NPO法人「高齢者安全運転支援研究会」事務局長 平塚雅之さん(59)

 自主返納は、事故の加害者にも被害者にもならないための有効な手段です。でも、生活に不便が生じ、後悔した人もいます。運転しないことで、認知機能の低下や、引きこもりにもつながりかねません。拙速な決断はせず、定年退職後を考えるように、返納後の生活設計を考える時間を持つことをお勧めします。

 例えば、①家族や近隣の人の車に乗せてもらえるか②買い物が難しくなるなら、宅配してくれるコンビニなどの利用を週に何回利用していいと思えるか③運転に代わる楽しみはあるか――などです。行動範囲が狭まったり外出が減ったりした場合に、我慢できる自分なりの限界値を想定することが必要でしょう。

 まずは夕方や夜間、通学時間など、事故のリスクが高くなりやすい運転を段階的に減らす工夫も、返納への準備として役立つと思います。

増える返納者 各地で特典続々

 運転免許の自主返納制度(申請による取り消し)は1998年度にスタートし、今年の75歳以上の返納者は8月末時点で約16万3千人。すでに昨年1年間の合計を上回っています。

 警察庁高齢運転者等支援室長の岡本努さんは「制度の周知が進み、自治体などの返納者への支援も充実してきている。少しずつ返納しやすい環境が整ってきている」と言います。

 ただ75歳以上の免許保有者数に対する返納率には地域差があります。都道府県別のトップは大阪府、2位は東京都など上位は都市部が目立ち、電車やバスといった代替交通手段があるかどうかが影響していることをうかがわせます。

 返納のハードルを下げるための取り組みも始まっています。京都府警は1月から、警察署や免許試験場などだけではなく、府内約290カ所の交番・駐在所でも自主返納の申請を受け付けることにしました。最寄りの警察署まで時間がかかる住民の利便性を考えての対応です。

 石川県警金沢中署は、自主返納した高齢者のなかから「自主返納アドバイザー」を委嘱し、地域の老人会などで返納後のメリット、デメリットを語ってもらったり、必要に応じて署の窓口で住民の相談にのってもらったりする取り組みを16年秋に始めました。同県警はほかの署にも広げたい考えです。

 地域独自の特典も続々と登場しています。栃木県鹿沼市では8月から、自主返納した65歳以上の市民に、市内を走るコミュニティーバスと予約制のデマンドバスの「終身無料乗車券」を渡しています。市によると8~9月の2カ月間で合計227人に交付したそうです。

 松江市では、松江署から相談を受けた島根県石油協同組合松江支部が、1リットル2円のガソリン代割引を9月から開始。市内に住む65歳以上の自主返納者が同乗している車が対象になります。16社・35のスタンドが参加しています。

 自主返納をした人への各地域の支援策については「高齢運転者支援サイト」(http://www.zensiren.or.jp/kourei/別ウインドウで開きます)で紹介されています。(編集委員・清川卓史、森本美紀)

     ◇

 75歳以上の免許返納率が全国トップの大阪府の場合、自主返納者への特典リストに、商店街での買い物から葬儀費用まで各種割引がずらりと並びます。自分や親が住む地域の支援・特典を一度調べてみるだけでも参考になると思いました。さて今後は、自動ブレーキなど搭載の「安全運転サポート車」限定の運転免許、80歳以上の事故を起こしやすい人に対する実車試験導入など、国が検討中の新たな対策などについても考えたいと思います。みなさまのご意見、体験をお待ちしています。(清川卓史)

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ご意見はasahi_forum@asahi.comメールするか、ファクス03・5541・8259、〒104・8011(所在地不要)朝日新聞オピニオン編集部「高齢者と運転」係へ。

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