1992年、天皇陛下の訪中をめざした宮沢喜一内閣が直面したのは、国内の激しい反対論だった。首相官邸幹部らが異例の「保守強硬派対策」に乗り出し、半年余りかけて訪中決定にこぎ着けた。「皇室外交」の歴史は、政治の責任とは何かを問いかけている。

 天皇陛下の訪中計画が動き出したのは、92年1月だった。宮沢内閣の渡辺美智雄外相(故人)が北京で銭其琛(チエンチーチェン)外相(同)と会談し、天皇訪中について「累次にわたる招請を多とし、政府部内で真剣に検討する」と踏み込んだ。同年10月下旬の日程も極秘に示された。

 天皇訪中は昭和天皇時代からの懸案で、日本政府には「天皇訪中により、日中間の戦後処理を完結させたい」との思いがあった。

 国内の保守強硬派はいっせいに反発した。藤尾正行・元文相(同)は自民党総務会で「天皇陛下が政治に巻き込まれる恐れがある」と反対を表明。3月末には「天皇陛下のご訪中延期を願う国民集会」が開かれ、天皇の政治利用につながる▽中国は日本の教科書記述や首相の靖国参拝に干渉した▽天安門事件以降、人権抑圧を強める中国への訪問は世界各国から誤解を招きかねない――などとして訪中反対を決議した。5月には「日本会議」の前身である「日本を守る国民会議」などの代表者らが、宮沢首相(同)に反対を申し入れた。底流には「朝貢外交になる」との反発もあった。

 加藤紘一官房長官(同)は一時…

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