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 英国の医師アレクサンダー・フレミング(1881~1955)は、ペニシリンを発見したことで有名です。第1次世界大戦下の病院で傷病兵が重症感染症で命を落とす姿を見たフレミングは、戦後、感染症に対する薬剤の研究に取り掛かりました。

 ある日、フレミングは雑然とした研究室で、捨てようと思っていた細菌の培養皿を整理していました。すると、黄色ブドウ球菌が一面に集塊(しゅうかい)(コロニー)を作っているはずの培養皿にアオカビが生え、その周囲だけ黄色ブドウ球菌が発育していないことに気づきました。

 普通なら、「あー、実験失敗だあ」で終わってしまいそうですが、フレミングは陰に隠れている重要な事実を見逃しませんでした。「アオカビから黄色ブドウ球菌の発育を抑える物質が出ているに違いない。感染症の治療に使えるかもしれない」と考えたのです。それは、今から90年ほど前の1920年代末のことでした。

 ちなみに黄色ブドウ球菌は、我々の皮膚などにもいるありふれた菌です。様々な感染症の原因にもなります。培養すると黄色の光沢のあるコロニーを作り、顕微鏡で見ると丸い菌体がブドウの房状に集まっていることから、このように呼ばれています。

 フレミングは、アオカビが持つ、菌を抑制する物質を、アオカビの学名であるペニシリウムに倣って「ペニシリン」と命名し、29年の英国の学会誌に発表しました。しかし、この革命的な論文はなかなか受け入れられなかったのです。

 フレミングの発表から遅れること10年余り、40年になって、オックスフォード大学のフローリーとチェインがペニシリンの精製に成功しました。第2次世界大戦の戦場で使用され、多くの兵士を救ったとされています。

 一連のペニシリンをめぐる業績に対し、45年にフレミング、フローリー、チェインの3人にノーベル賞が授与されています。このころからアメリカで大量生産が開始され、一般の人々の治療にもペニシリンは普及していきます。

 実は、日本でも戦時中にもかかわらず、44年にペニシリンの精製に成功していました。「碧素(へきそ)」という名前でごく限られた人に使用されたようですが、戦後米国で大量生産されたペニシリンに取って代わられています。

 いみじくも、フレミングは、ペニシリンがたくさん使われるようになると、ペニシリンに抵抗して生き延びる細菌が出てくるだろうと予言していました。ペニシリンが精製されたのと同じ40年にはすでにペニシリンを分解する細菌が認められ、ペニシリンの普及と共に拡散していくことになるのです。

 その後、様々な抗菌薬が開発され、医療に貢献していくのですが、新しい抗菌薬が出ると、その抗菌薬に耐性を持った細菌が出現するという時代に入っていきます。すなわち、抗菌薬の歴史は耐性菌の歴史でもあるのです。

<アピタル:弘前大学企画・今こそ知りたい! 感染症の予防と治療>

http://www.asahi.com/apital/healthguide/hirosaki/

(弘前大学大学院医学研究科臨床検査医学講座教授 萱場広之)